もうひとつ文章によってバレるのが、なんといっても「コミュニケーションセンス」の有無である。
文章は、論理と知識だけでは読まれない
【3】「コミュニケーションセンス」の有無がバレる
賢くまじめな人ほど、非常に深淵な内容を、ガッチリ論理的に整理しようとする。しかし、その多くのケースで欠如しているのが、なんといっても「読み手の感情に訴えるセンス」である。
人は情報を、論理と知識だけで理解するのではない。しかしながら、感覚、感情を通じて直観に訴えることの必要性を感じ取ることができない「二流のエリート」があまりにも多い。
読み手にとっていちばん腹立たしいのは、ありきたりの内容がカッチリ論理的にまとめられただけで、感覚的に読みにくく、長ったらしすぎたり、ユーモアのかけらもないような二流の文章ではないだろうか。
私はいつも文章を書くとき、「気軽に入っていける導入部の会話」や「渾身のジョーク一発」、そして「本質的な教訓」の3点セットが入るようにこだわっている。
これは、文章とは論理や知識だけではダメで、感覚的に読みやすく楽しくなければ、人さまに読んでもらう資格がないと考えているからだ。
一流の文章ほど、読者にとっての「読むコスト」を低下させるための努力がなされているものだ。一生懸命に読まないと、何を言いたいのかわからない文章は、二流の文章にほかならない。
仮に頭のIQが高くても、その人の文章を読んでくれる人など永遠に現れず、せっかくの頭脳も宝の持ち腐れで終わってしまう。文章を見れば、それほどその人の「センス」がもろにバレてしまうのである。
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