都会エリートを嫌う地方の新興富裕層
そうすると、どうやら宗教がトルコの問題の核心にあるように見える。政治的イスラムに反対する人々は、政治的イスラムは本質的に反民主主義的だと見なしている。
しかし、物事はそう単純ではない。世俗的なケマル主義政府が、エルドアン首相のポピュリズム的かつイスラム主義的な政権よりも権威主義的でなかった、ということではない。もう一つ重要なのは、イスタンブールで最初に起こった抗議は、モスクではなく、モールを懸念したものだったことである。シャリーアへの恐怖は、首相の政府に支えられた開発業者と企業家の貪欲さへの怒りと合わさった。トルコの春には、強い左翼傾向がある。
よって、現代の政治的イスラムの問題にこだわるよりは、トルコの紛争を階級という別の観点から見てみるほうが、得られるものは多い。抗議をする人々は、リベラルか左翼かにかかわらず、西洋化し、洗練され、世俗的な都市のエリート層出身の傾向がある。対して首相は、農村部や地方の教育程度が比較的低くて貧しく、より保守的で宗教的な人々の間では依然とても人気がある。
エルドアン首相の個人的な権威主義的傾向にもかかわらず、現在の抗議を純粋に民主主義と権威主義の対立であると見なすのは誤解を生む。そもそも、エルドアン首相のポピュリズム政党である公正発展党は、トルコがより民主主義的になったことの結果なのである。
ケマル主義の世俗的な政府が抑圧してきた、女性が公共の場で頭にスカーフを巻くなどの慣習は、農村部のトルコで再び姿を現してきている。保守的な地方のトルコ人たちの票が、今重要になっているのだ。
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