現地ルポ!ヒラリーを支持する人々のホンネ 投票直前に女性有権者が語るそれぞれの想い
その当時、彼女より4歳下のヒラリー・クリントンはウェルズリー・カレッジで学生として初めて卒業式のスピーチを任され、イエール大のロースクールに進み、アーカンソー州で、子供達の支援をする団体で働き始めていた。
「当時はもちろんヒラリーのヒの字も知らなかったけど、ウェルズリーの一学生が、自分の卒業式で、保守的な女子大の意向に反して、ベトナム戦争を批判するスピーチをしたと後で知って、ガッツあるな、と思ったのを覚えている」と言う。
フロリダでの不動産売買の仕事が軌道に乗る中で、物件の売買で得られるコミッションよりも、ディベロッパーになって開発に携わる方が、はるかに利益が大きいことを知る。
ビジネスマインド旺盛な彼女はディベロッパーの道も模索したが、壁にぶつかった。
女性に資金を貸してくれる銀行などなかった
「当時、いくら探しても、女性に資金を貸してくれる銀行などなかった。銀行、投資家ともボーイズネットワークでガッチリ固められていて、入り込めるすきがなかった」
トランプが不動産業で名をはせて来られたのは、親から与えられた資金プラス、銀行からの融資と投資家からの資金の両方に常にアクセスできたからだと彼女は言う。
「トランプが何度倒産しても、資金繰りに困らなかったのは、リスクを取った投資家からの融資を焦げ付かせながらも、自己利益は確保し、銀行からの融資はいつも問題なく受けられていたから」
プロッサーは、70年代当時から同性のパートナーと暮らしていたが、自分が同性愛者であることを仕事仲間に公言したのは1995年が最初だった。
「私は自営業だけど、パートナーは普通の会社勤め。もし会社に知られたら彼女がクビになる恐れもあった。企業で働き続けたい女性たちは、当時は公言なんて怖くてできなかった。今でもCレベルと言われる上級管理職で、カムアウトしていない女性はたくさんいる」
自らのセクシャリティを公言し、その後、ゲイライツ運動に積極的に取り組んだ彼女は、ビル・クリントン大統領が「ゲイが軍隊から除隊されない」ための大統領権限を発令したことを昨日のことのように鮮明に覚えているという。
彼女が同性婚の権利を求めて運動を重ね、2008年にカリフォルニア州で同性婚した時は、地元のオレンジ・カウンティー・レジスター紙の一面に写真入りで載る「時のひと」になった。
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