現地ルポ!ヒラリーを支持する人々のホンネ 投票直前に女性有権者が語るそれぞれの想い
「私だってもちろん、女性だからヒラリーを支持するわけじゃない。彼女が優秀で大統領にふさわしい実績を積んできたから」と言う彼女。
だが、同時に「ヒラリーはこの国の私たちの年代の女性がどんな差別を受けてきたか、身にしみてわかっている。だからこそ信頼できる」とも言う。
南部のサウス・カロライナ州で50年代を過ごしたプロッサーにとって、黒人やマイノリティへの差別は日常のあちこちでほぼ「普通のこと」として起きていたという。
「プランテーション・オーナーだった歴史がある白人男性の地主たちのメンタリティは、南北戦争以降もさほど変わっていないみたい。黒人や女性が力を持つと、まるで親として子供をしつけなければ、という風に、その力を制限しにかかる」
そんな差別に嫌気が差して、19歳でサウス・カロライナを飛び出し、カリフォルニア州に移住したが、そこでも差別に直面した。
女性には肩書きはやれない
ファイアストーン・タイヤの販売店の販売員からスタートし、実績を挙げ、財務と営業をまとめる支部長の仕事を任されたが、社内での肩書きは「タイピスト」だったという。
「実際は支部長の仕事をしていて、男性の部下も教育しているのに、給料は自分が育てた部下より低いまま。女性には肩書きはやれないと言われた」
現在では法律違反のこんな扱いも、彼女が20代だった1960年代の米国では横行していたという。
おかしいと思って上司に訴えても「キミより上の地位の女性はウチの社にいないんだから」と相手にされなかった。
タイヤ会社で働いているのに、自家用車が買えない給料しかもらえず、ボロボロのクラシックカーを手に入れ、修理して乗っていた。
ガラスの天井どころか、鉄でできた天井に頭をぶつけている感覚だったプロッサーは、社内でのキャリアに見切りを付け、フロリダ州に移住。リタイア客を相手に手芸クラフトショップを開いた。
不安定な自営業では食べていけないと、同時に不動産業のライセンスを取り、不動産売買のビジネスも始める。
必死で働いても週に450ドルだったタイヤ会社の給料から、一気に週給1500ドルになった。
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