相談文からはカットさせていただきましたが、坪田さんは「舅(しゅうと)が“生きる”ことと最後の闘いをしているただ中で、姑が舅の私物を処分していた」とも書かれていました。
これを読んで、私の背筋にも寒気が走りました。不仲な伴侶であったとしても、それはできることではありません。道端の石ころにも祈りたくなるのが、この時期です。この人の人格を、推して知るべしの行為でした。あなたに対しても、踏みにじる以外の接し方を知らない人です。これからも、それは変わりません。
この二人のいない世界で生きる選択をするのが、あなたとお嬢様がたのためです。
犠牲や献身は、それが通じる人にするもの
私の友人は73歳の今年から、大学で哲学講座を聴講し、10歳まで習っていたクラシックバレエを習い始めました。さらに朗読会に参加し、ボランティアとして活動できるよう訓練しています。
この友人は一人娘で、一人息子と結婚しましたが、昨年100歳の舅を見送るまで、認知症やガンになった4人の親を順番に40年間、ほとんどそれぞれの自宅で看取りました。4人の中でも舅と一番気が合い、いつも励ましてくれたから乗り切れたとも言っていました。
この友人は今年から自分への褒美に、3つの学びを始めましたが、縦の物を横にもしなかった夫が、その習い事その他にも応援し、夕飯も大人しく待っているそうです。「介護し続けた40年間をさらに意味深く位置付けたいために、哲学を聴講している」と、元気一杯です。
このように犠牲や献身は、心あって通じる人にしてこそ犠牲でなくなり、達成感などに変わるのです。心ない人といくらかかわっても、不愉快なことが待っているだけです。
家族関係によっても事情は違いますが、大きな家を離れて賃貸に母子で移った人の声の中では、「邪悪な人間関係を断ち切れた開放感で、空気まで甘い」とか、「やっと自分たち親子が主役の人生を歩める」という言葉が、印象的でした。
賃貸に移ったとしても、あなたの頑張る姿をみせながら同じ釜の飯を食うことで、いくらでも親子で共有する時間は作れるものですよ。それよりも邪悪な二人と縁を切って生きることの方が、ずっと良い選択だと私は思います。
ただし、下のお嬢様が高校を卒業されるまであと4~5年です。その後に賃貸へ移ることとして、割り切ってしばらくこのまま暮らすのも、一つの方法です。その場合は、あの不誠実な二人には、最低限の接触と強い態度で臨みましょう。
あなたの今の苦労は、すべて無駄になっているわけではありません。お嬢様方が心優しい子に育っているのは、あなたの苦労が実っている証拠です。親としてそれ以上の財産はありません。これからの後半生、このお嬢様方が、あなたの力になってくれますよ。
幸福をもたらすのは、持ち家ではありません。どれほど苦労が多くても、一緒に暮らす人と心が通じているかどうかが最も大切なことです。このことを最後に強調したいと思います。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら