首相の権力基盤は党内支持から国民の支持へ

自民党総裁任期の歴史的変遷から読み解く

任期2年への短縮は、福田が総裁に就任した直後の党大会で行われた。ところが福田は首相に就任すると「総裁任期が2年というのは短すぎて無理がある。2年ごとに大騒ぎをしていてはどうにもならない。5年や10年は必要だ」とそれまでの主張を翻した。もちろんこんな都合のいい話は実現しなかった。

用意周到に自らの任期延長を実現したのは中曽根康弘だった。党総裁再選を果たし4年の任期満了を1年後に控えた1985年、中曽根の周りから内閣支持率の高さを理由に3選を認めるべきだという意見が出てきた。当時は、ポスト中曽根を巡って安倍晋太郎、竹下登、宮澤喜一の「安竹宮」と呼ばれる3人の実力者がしのぎを削っていた。「3選容認論」に対しては、3人はもちろん党執行部も一斉に反対した。しかし、中曽根の方が一枚上手だった。中曽根は任期切れ間近の1986年6月、衆参同日選に打って出て、衆院で308議席という大勝を果たした。その結果、中曽根は特例として総裁任期を1年、延長されたのだった。

安倍一強で党内権力闘争は消えた

総裁任期は2001年に再び3年に延ばされた。この時の改正経過は珍しく権力闘争から外れていた。議論がなされたのは森喜朗内閣のころで、実現したのは小泉純一郎内閣になってからだったが、2人とも自分の思惑で任期を延長しようとしたわけではない。見直しの理由は、橋本龍太郎内閣で行政改革が実現し政治主導が制度的に担保されたにもかかわらず、総裁任期が2年では、政治が安定せず、首相が指導力を発揮できないという比較的まっとうな理由だった。現実に90年代、日本政治は混迷を続け、わずか1-2年の短命内閣が続いていた。そういうことへの反省もあったのだ。

自民党の歴史を振り返ると、今回の総裁任期延長の経過が異例であることがわかる。今回の見直しのきっかけは二階俊博幹事長の発言だったが、その後はあらかじめシナリオが描かれていたかのように、スイスイと党内手続きが進められて、一気に決まってしまった。残るのは来年3月の党大会での承認という形式的なものだけだ。次の首相を狙う元幹事長の石破茂や外相の岸田文武とその派閥から強い反対論は出てこなかった。自民党の代名詞だった党内権力闘争は消えてしまったかのような現象だ。それだけ「安倍1強」となっているのだ。

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