企業の謝罪会見は「汚い精神」にまみれている

組織の一員として、"道徳"とどう向き合うか

最近では、カント倫理学における「道徳的よさ」である「真実性=誠実性の原理」は、組織に属する人間に1つの試練を与えるということ、だからこそ価値があるということがわかってきました。組織が総がかりで欺瞞の道を歩もうとしているとき、そこに属する個人はどういう態度をとればいいのか、という観点から「道徳的よさ」のすべてを見直すことができるような気がします。

その場合、法を無視し、詐欺行為を繰り返すという悪徳商法の常習犯のような会社を持ち出す必要はない。むしろ、こういう組織はここでは考察から排除します。こうした反社会的悪徳会社を「道徳的によい」とみなす人はいないのであって、ここには、なんら高度に倫理的に考えるべき問題はないのです。

舛添氏より都議会や都庁職員の方がずっと「汚い」

むしろ、あるきわめて巧妙な仕方で社会的には認められない不正を犯し、しかもそれをひた隠しにし、ついにそれが暴露されたときには、「心からお詫びし、さらに誠意をつくして改善に努める」という姿勢を示す会社、たとえば今年3度目の不正が明らかになった三菱自動車のように、ずらっと男たちがテーブルの向こう側に並び頭を深々と下げる光景。われわれが飽きるほど見たあの光景こそが、問題なのです。

この光景のうちに、現代の会社組織とカントが力説する「真実性=誠実性の原則」との相性の悪さが象徴されている。誰も真実それ自体を尊敬することはなく、もはやここで真実を認めないとさらに自分たちがソンになるからしぶしぶ認めるという「汚い精神」が露出している。隠し通せたとしたら、真実などどこ吹く風で、真顔でウソを突き通し、バレたと思った瞬間にコロっと態度を変える。すべてがソン・トクで動いているだけであり、しかも、「心から反省している」という言葉を吐いても、なんの良心の痛みも覚えないようなのです。

カントはこれこそ「根本悪」と呼んだのですが、現代日本ではこうした欺瞞があまりにもはびこっているので、誰もが「どこかおかしい」と思いながらも、大いなる怒りさえ覚えなくなってしまっているのではないでしょうか。

先に取り上げた「舛添問題」では、舛添要一前東京都知事の「あまりによくわかるウソ」と「目に余るセコさ」が目立ったので、世論の怒りが炎上したのですが、私はむしろ「なんと舛添さんは素朴で天真爛漫なのだろう」と思い、それほど「汚い」とも「憎い」とも思いませんでした。むしろ、誰かはすぐわかるので言いませんが、小池百合子現都知事の「小池旋風」がまだ予測のつかないころは、彼女に無礼の限りを尽くしておきながら、敵にしたらヤバイと判断した途端、露骨に擦り寄る都議会議員の面々、広大な地下空間の決定に関与した者は必ずいるはずなのに、絶対に名乗りを上げなかった都庁職員の面々のほうがずっと「汚い」という印象を持ちました。

この問題は、次回以降もさらに掘り下げて考察していこうと思います。

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