ところが自分が3年目になる頃には、できる先輩たちが他部署へ異動していった。いつしか業務部の若手の中で自分自身がいちばん仕事を任される立場になっていた。当時は給料のために仕事をやっている感覚はなかった。仕事をたくさんしても大企業は給料を上げてくれるわけではない。それでも仕事に対する責任感はどんどん増していった。当時は働きまくった時期で1年間365日のうち休んだ日はたった1日。正月も働いていた。やりがいもあったし、仕事が自分を成長させてくれたときだった。
なぜ退社を選んだか
――充実している20代に感じますが、29歳に退社という決断をします。
20代の頃にやる気はあったのは事実だ。当時は3年目くらいまではやる気をキープしようという気持ちが、自分を含め周りにもあった。大企業に入ったからには、自分で何かをしたい、やり遂げたいという思いも増してきた。ところが、何か新しいことにチャレンジしようとすると、周りからの反対が想像以上に強かった。自分にやりたいことができないならと29歳のとき会社を飛び出すことにした。会社の同期たちも同じように悩んでいた。しかし、結婚して子供ができて、家を建ててローンを組んでしまえば、身動きがとれなくなってしまうという状況だった。
また、目標とする先輩が次々と去って行ったことも退社した理由のひとつ。私は「サラリーマン」という言葉が嫌いで、「プロフェッショナル」になりたいという気持ちでやってきた。私が入社したとき入社5年目の先輩がいた。ぶっきらぼうで愛想もよくない。でも営業マンや上司から絶大の信頼を得ていた。まさにプロフェッショナルという言葉にふさわしい人。怒られるどころか私のような新人は相手にすらされないという感じ。ずっとその人には認められなかったが、彼が異動で部署を出るときに、彼から1通のハガキがきた。そのときに、「これからこの部署はお前に任せるぞ」と記されていたことが大きな刺激になったことを、今でも覚えている。
ただ、そういうベンチマークになるような尊敬できる先輩が自分の周りから次々といなくなっていった。目指すものがなくなったことも、辞めようと思う理由になった。
――単純に会社が肌に合わなかったということでしょうか。
最終的に私に退社を決断させるひとつ事件があった。損保も自由化になるといわれ、業界全体がどうなるか、会社がどうなるかということで、会社の上層部から意見を聴取したいと若手社員が20人ほど本社に呼ばれた。そのときにある部署の次長と話す機会が設けられた。話した内容は覚えていないが、自分が思うことを素直に話し、自分なりに会社の成長プランについて説明した。
ところが、その次長はこう言い放った。「君が言うことはよくわかるが、今の役員連中には君の言うことは理解することはできない。それに私自身も妻子がいる。君が言うようなリスクは取れない」。私はこの言葉を聞いたとき緊張の糸が切れた。この件がトリガーとなって1年半悩んだ結果、退社という考えに至った。
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