――退社後は米国に飛んでMBAを取得します。
私自身、起業家精神というか、ベンチャー企業をやりたいと思っていた。ところが、父は猛反対した。私は大学時代に応用化学を専攻したが、それは出身地の山口県に化学会社があり、地元にいてほしいという父の意志が反映された選択だった。大学に入学してからは、自ら世界で活躍したいと考えるようになり、ホンダやソニー、キヤノンなど世界で活躍できる企業に入りたいと思うようになった。
でも父には長男だから地元に戻って来いと大反対された。反対を押し切り保険会社に入った後、ベンチャーをやりたいと言ったときも同じく猛反対された。どうせ周りにあれこれ言われるのであれば、自分で決めたことをやっていこうと思った。当時、ベンチャー企業で成功するということは、自分の中で夢と思っていた。そういう夢を追う形でシリコンバレーに行った。シリコンバレーは起業を志す者にとっては特別な領域で、野球で言えば大リーグのような世界だった。
シリコンバレーでは「お前、大企業にいるの?」と言われる
――米国では日本にはない刺激があったのではないでしょうか。
はい。今までとはまったく違う刺激があった。圧倒的に優秀な人がいて、意識の高い人が多い。たとえば「日本ではベンチャー企業って大丈夫なの?」という目線があるのかもしれない。だけど、シリコンバレーではまったく真逆でした。「お前、大企業にいるの?」とバカにする人たちがたくさんいた。何よりもワクワクしながら「世界を変えてやろう」という人間ばかりだった。日本にそんな人たちははっきり言って、少ない。
シリコンバレーに5年いた後、35歳で日本に戻ってきた。「日本発の技術ベンチャーを世界に」というテーマは米国に行く前から変わっていなかった。それを具現化するために日本に戻ってきた。そういう思いが実現しつつある。保険会社を辞めるなどリスクがあったのは事実だが、そういう決断ができたことが今につながっている。
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