ノーベル経済学賞とは、いったい何なのか 受賞者に強烈な「権威」を与えてきた
過日10月の選書メチエの一冊に、私たちの『ノーベル経済学賞 天才たちから専門家たちへ』が加わった。「ノーベル経済学賞」(正式名称は「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞」)について、私がものを書くのは初めてではない。だが、今回は、教え子や後輩たちの協力を得て、この賞の創設から現在に至るまでのほとんど全員の受賞者たちの一覧を作り、10年ごとのタイムスパンで、この賞の特徴や傾向がどのように推移してきたか、そしてこれからどこへ向かうのか、全般的な評価を試みることにした。
経済学賞の受賞者は、「ノーベル賞」の権威づけに支えられて、その発言にも重みが加わるのがふつうである。経済学者の社会的立場は、本来、価値観やイデオロギーの違いを反映して決して一様ではないのだが、受賞者のなかにはそのことを十分承知のうえで、持論を有利に展開するために「ノーベル賞」の権威を利用してきた者もいる。
それが一概に悪いというのではない。ただ、ある受賞者の社会的発言とその人の学問的業績の間には微妙な関係があり、後者の学界における高い評価が前者の社会的に影響力のある発言を正当化するとは一般にいえない。
フリードマンの学問的業績と社会的発言
わかりやすい例を挙げてみよう。ミルトン・フリードマンといえば、自由主義の闘士として政府による市場経済への介入を一貫して批判し続けた経済学者だが、彼は、「消費分析、貨幣史及び貨幣理論における成果と安定化政策の複雑性を明らかにしたこと」という理由で1976年度のノーベル経済学賞を受賞した。
経済学者なら彼の学問的業績についてよく知っているはずだ。だが、世間一般の人たちは、「自由市場の威力」を多くの問題に適用した社会的発言(政府による市場経済への介入批判、インフレ抑制のためにはマネー・サプライの増加率をコントロールする以外の政策はいっさい必要ないという主張など)しか知らないのがふつうである。
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