――言葉で「ありがとうございます。感謝しています」と言うのは簡単ですけど、心底思うのは難しいですよね。何かきっかけになるような出来事はありましたか?
僕は先輩に恵まれました。がむしゃらに突っ走っているだけのキャラでも、かわいいと思ってくれる先輩たちに助けてもらえたんです。
懇意にさせていただいている近藤芳正さん(名古屋出身の俳優)からは「憲太(憲俊さんの本名)はもっと感謝をしろ。お前のいいところであり悪いところでもあるのは、根拠のない自信だ」と言われました。
坂井真紀さん(東京出身の女優)の付き人をしていたときは、あんなに活躍されている方が、早朝からジムに通ったり英語の勉強をしているのを目の当たりにしました。尊敬する女優さんが寝る間を惜しんで努力しているのです。ちっとも売れていないオレは休みの日に何をしている? 一日中家にいてマンガを読んだりしているだけ。何やっているんだ、オレは……、と気づかせてもらえました。
「おもてなし武将隊」で一躍有名に
――2009年に「名古屋おもてなし武将隊」のオーディションを受けたのは転機でしたね。
はい。名古屋という小さな街で1番が取れなかったら、役者をやめるつもりで臨みました。「信長以外の役はやるつもりありません」と言いましたよ。どうしても信長をやりたかった。だって、怖い信長のイメージを変えて、漫才ができたら無敵じゃないですか。
――それでいて気品を保っているのがすごいですね。まさに信長の生まれ変わりです。
いやいや……。やめてくださいよ、また調子に乗るから(笑)。信長の役は黒い甲冑を着たりするので、自然と迫力が出るんです。自分も「信長だ」と思って気張りますしね。今の「団長」のほうが本来の自分に近くて気楽です。
(信長役のおかげで)今まで10人くらいだったファンが一気に増えて、舞台をやったら200席の会場が毎回満席に。そんな経験はなかったので「うれしいな」と思いましたね。名古屋を簡単に捨てられない、この人たちがいるから僕は飯が食えているんだ、恩返しをしたい、と感じるようにもなりました。5年間の東京生活で、人として少しは成長できたと思います。もちろん、「売れたい!」という気持ちはずっと持ち続けています。
目指すは「愛知の大泉洋」
――きっと全国区で売れますよ。「水曜どうでしょう」(北海道テレビ)発の大泉洋さんみたいになれると思います。
大泉洋さんはまさに僕の目指すところです。2011年に演劇ユニット「SCANP」を立ち上げたのも、大泉さんの「TEAM NACS」を意識しました。
まだまだですけど、いつか名古屋のカリスマになってやります。諸先輩方には申し訳ないけれど、「名古屋の役者といえば憲俊」という存在になりたいです。
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