最後に:トルコの事例との共通点
本日もぶつぶつ申し上げてしまったわけだが、この問題が史実や理性や正義で解決する問題でないことは、世界の歴史を見ればよくわかる。私は先週トルコのイスタンブールを訪れ、そこからコラムを書いていた。外国の事例を参考にしようと、イスタンブール在住の友人を訪れ、彼らの過去のアルメニア人虐殺問題に対するトルコの対応を問うてみた。彼らはボスポラス大学(トルコの最高学府)を出たエリート層の友人なのだが、「賠償金問題につながり、いくらかかるかわからないので否定せざるをえず、また領土問題にも繋がる」とこっそり私に打ち明けてくれた。
そして 「当時アルメニアはオスマントルコと対立するロシアと組んでいたから、自国を守るためには虐殺もやむをえなかった」「なぜ大昔のオスマントルコ時代の責任を、今の関係ないトルコ人が負わなければならないのか」「集団的な戦闘行為はあったが、また12人程度の軍人が一部民間人への殺戮行為を行ったが、政府として命令した公文書は存在しない」「クルド人移民は税金を払ってないのに、トルコ人の税金で生活を支えている」など、なんかどこぞで聞いたような話が続いて驚いた。(ちなみに学校教育でも、歴史の暗部なので教えていないらしい)
繁華街のペディストリアンストリートの道端では、トルコの極右運動家(その大半が20~30代の若者)が最近のクルド人との和平締結への反発と移民排斥を訴えておおっぴらに集会を開いていて、それを機動隊が取り囲んでいる。歴史の暗部を自主的に総括せず、当時を知らない若者が増えているときに貧富の差が拡大すれば(トルコの貧富の格差は日本以上に極めて深刻)、歴史修正がはびこり、また、右派政治家の勢力が増すのはどこの国でも見られる人間の弱さの本質であるようだ。
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