NY爆発事件、素朴だった容疑者の「突然変異」 高校時代の人気者に一体何が
ラハミ容疑者は1988年1月23日にアフガニスタンで生まれ、子供の頃米国へ渡った。近隣住民によると、ラハミ容疑者は少なくとも6人兄弟の一人であると思っていたようだが、正確な人数は誰も把握していなかった。
27歳のフリー・ジョーンズ氏はラハミ容疑者と共に成長し、幼い頃は地元の公園でバスケットボールをして遊んだ。大人になったジョーンズ氏はラッパーとなり、あっさり味が売りのレストランの常連であった。同氏によると、ラハミ容疑者は友人らとレストランの裏でラップバトルを開くことを認めてくれた、という。
「いい雰囲気という以外にない」とジョーンズ氏は言う。彼は”チキン・ジョイント”というレストランの非公式宣伝ソングを作詞するのに力を貸したという。
Tシャツとスエットパンツから礼服に
この時点では、ラハミ容疑者のイデオロギーや政治思想について、または外国のテロリスト組織とつながりがあることはほとんど知らなかった。ラハミ容疑者は洋服を着ていたし、伝統的なものを重んじているように見えなかったと話す。
しかし4年ほど前、ラハミ容疑者はしばらくいなくなった。彼の弟がアフガニスタンに行ったことを教えてくれた、とジョーンズ氏は言う。戻ってくると、数人の贔屓客が何らかの変化があったことに気がついた。ラハミ容疑者は髭を伸ばし、Tシャツとスウェットパンツという典型的な洋服からイスラム教の礼服に変わり、レストランの裏でお祈りをし始めるようになった。
同時にラハミ容疑者の以前の優しい態度は厳格になっていった。
「全く別人になったかのようだった」とジョーンズ氏は話す。「彼は真面目になり、完全に心を閉ざしていった」。
近くに住み、毎週1回から2回はレストランで食事をしていた24歳のアンドレ・アルメイダ氏は、ラハミ容疑者の変化がかなり著しいと感じたが、何らかの結論に達することをためらった。