NY爆発事件、素朴だった容疑者の「突然変異」 高校時代の人気者に一体何が

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ラハミ容疑者はソーシャルメディアをわずかながら使い続けていたため、警察は彼を見つけることができた。

警察当局によると、「彼はちょっとした生霊、幽霊のようだった」。

ラハミ容疑者が海外で何らかの軍事訓練を受けたかどうかを示す証拠はまだないと、ある捜査官は話す。しかし、捜査は引き続きラハミ容疑者の海外での生活について詳しく調べる方針だ。

「ニュージャージー州で普通に生活を送っていた男が、教養のある爆弾製造者やテロリストになるのに、実際にどこに行き、何をしていたのか」と捜査官は話す。

二つの祖国の間で揺れた青春時代

ラハミ容疑者のニュージャージーでの生活の大半は平凡に見えた。リムジンドライバーのアマリット・シン氏はエジソン高等学校で、ラハミ容疑者と友人だった。彼が知っているラハミ容疑者は意欲のある生徒で、たくさんの友人や多くのガールフレンドがいたという。「誰もが彼のことが好きなように見えた」とシン氏は言う。「賢く、面白く、控えめで、誰も傷つけることはなかった」。

10代のラハミ容疑者は典型的な移民であり、二つの国の間に揺れ動いていた、とシン氏は見ていた。ラハミ容疑者は友人と同じようにジーンズを履いてスウェットシャツを着ている一方、アフガンの音楽を好み、金曜日にはモスクでお祈りをしていた。こうした「不調和」は、より宗教心が強く伝統を重んじる父親と時折亀裂を生んだ。「2人はよく口論していた。多くの葛藤があったように思えた」とシン氏は言う。

シン氏によると、高校が終わったあとはラハミ容疑者と二人でしばらくの間、ニューアークにあるロイヤル・フライド・チキンで働いていたという。シン氏は厨房でフライ担当、ラハミ容疑者はレジを担当していた。シン氏が機嫌の悪い客と口論になるといつも、ラハミ容疑者が仲裁役として間に入ってくれたことを思い出すという。

最近は、二人は別の道を歩んでいた。シン氏もラハミ容疑者が海外に行っていたのは知っていて、以前よりも敬虔になり、イスラム教徒のローブを着るようになっていたと話す。

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