「シン・ゴジラ」の防衛大臣はプロ失格である

自衛隊特殊部隊創設者が感じたこと

だから、あの時に防衛大臣がしなければならなかったことは、総理大臣の判断基準が、「自衛隊が国民に向けて発砲」することは「何がどうあろうと絶対にありえない」という平時モードなのか、「自衛隊が国民に向けて発砲」することは「より多くの国民の生命を救うためであれば、ありえるかもしれない」という有事モードなのかを確認することだったのである。

それは、迷って困ってサイコロを振るように中断を決めたのか、しっかりとした思考過程を経て中断という結論に達したのかの違いでもあり、見ていれば誰でもわかる。

そして、このタイミングで総理大臣が有事モードに変わっていないとしたら、防衛大臣がとるべき選択肢を示し、そのうちのどれを選ぶかを総理大臣に決めさせなければならない。

2名の避難完了で再攻撃なのか、避難完了が完全に確認できるのを待つのか、確認作業を時間で割り切って再攻撃をさせるか、である。

「総理、ご決断を」は、このときに使う台詞だ。

戦闘集団トップのプロフェッショナリズムとは?

『国のために死ねるか ― 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』 ( 書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)

映画の中では、ほんの1分程度のシーンだったと思う。しかし、私はここでの防衛大臣に「始めますよ!」と「撃ちますか?」のたった二言の発言からではあるが、総理大臣を補佐すべき閣僚としてのプロフェッショナリズムを感じなかったし、再攻撃に関する決断を総理大臣に迫らないことから、戦闘集団トップとしてのプロフェッショナリズムも感じることはなかった。

組織が何かを決断し、行動を起こすときというのは、どちらを選択したとしても何かを失い、その失うものが非常に大切で大きなものであることが多い。最終決断する者、決断の補佐をする者、決断のための情報を集める者、それを整理する者、それぞれの役目がそれぞれの役職にあり、それが正しく機能すれば、最適な判断がなされる。

決断である以上、失うものがゼロということはあり得ないが、組織を正しく機能させて最適な決断をすることはできる。それが可能なのは、全員が自分は何をするために存在しているのかを正しく認識し、それを忘れず、実行し続けるからである。その姿勢をプロフェッショナリズムという。

『シン・ゴジラ』の中でも、最高指揮官の統合幕僚長(演:國村隼)の発した「礼には及びません。仕事ですから」という一言は、戦闘のプロとしての隊員の姿勢を感じさせた。

しかし、実際はなかなかそういかない。あるべき職務の遂行を困難にしているのは、いつの間にか心のすき間に入り込み、へばりついてくる、自分が傷つかないことを最優先しようとする私心であり、その存在を隠そうとする邪心というものだ。

この映画の本当の狙いは、人間の私心や邪心の抽出なのかもしれない。

(企画:オバタカズユキ)

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