築地でしか味わえない「ごちそう」アジフライ 元祖「築地のおいしいもの」は西洋料理だった

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明石町に外国人居留区が作られたのとほぼ同時期に、東京では初めてとなる外国人専用ホテル「築地ホテル館」が、勝鬨橋からほど近い、現在の場内市場内にある駐車場ビルの辺りに作られました。7000坪の敷地に、木造三階建て、計102室の堂々たる建物で、その豪勢な姿は、当時の日本人には文明開化のシンボルとしていかにもまぶしく映ったのでしょう。すぐに新しい東京の名物となり、錦絵にも盛んに取り上げられました。

このホテルは、明治5年2月に起きた銀座・築地界隈を焼いた大火事により、惜しくも消失してしまい、5年弱の短い歴史にピリオドを打つことになりました。しかし、築地ホテル館が消失した後も、築地・明石町界隈には、いくつもの外国人専用ホテルが作られました。その一つに、当初、西洋料理店として開業し、後にホテルを併設した精養軒がありました。この精養軒には、森鴎外の「舞姫」のモデルとして知られるエリスが、鴎外の後を追って来日した際に投宿した記録が残されています。

築地グルメを印象づけた精養軒

精養軒は、後に東京における西洋料理の草分け的存在として語り継がれることになるのですが、当時より「宿泊の帝国ホテル、料理の築地精養軒」と呼ばれるほどの、高い評判を博していました。精養軒は関東大震災で焼失し、すでに支店として開業していた上野店を本店として、築地の地を離れてしまいましたが、「おいしいものが食べられる場所」としての築地を印象付けたハシリのお店だったのです。

築地のおいしいものというと、今では寿司や海鮮丼を思い描きがちですが、精養軒が評判を博していた時代には、まだ築地に市場は開場していません。つまり、築地グルメの元祖は、意外なことに西洋料理だったのです。

ゴツゴツとした衣をまとった「八千代」の海鮮フライは食べ応え十分。いかにも河岸の男たちの好みだ

その伝統を受け継いでいる訳ではないのですが、築地では今でもすばらしい洋食を食べさせる店が少なくありません。そのうちの一軒が、場内の魚河岸横丁にある「八千代」です。もともとはとんかつ屋なのですが、そこは築地の洋食屋。海鮮を使ったフライ物に定評があります。アジフライというとチープなお惣菜の代表格で、一般的にはとてもごちそうとは考えられていませんが、築地のアジフライは正にごちそうです。

鮮度の良さを物語るように一切の臭みを感じさせず、肉厚の身からはうま味のみがほとばしる、そんなごちそうアジフライが食べられるのも、築地ならでは。小池知事の意向で、移転時期は少し延期されるようですが、移転自体がなくなるわけではないので、このごちそうアジフライが築地で食べられるのが、あとわずかな期間なのは変わらないのです。

小関 敦之 フリーランスライター&築地の案内人

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こせき あつし / Atsushi Koseki

フリーランスライター。テレビチャンピオン「築地王選手権」に優勝した築地王。築地歩きの第一人者として、執筆、テレビ出演など多方面で活躍。著書に『築地で食べる』『築地これ食べるならここ』など。築地のプライベートツアーの案内人も務めている。

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