センスある「官能性」が日本経済の未来を拓く サファリで考えた「センシュアル」の真価

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山崎豊子氏の『沈まぬ太陽』でも描かれたように、1970年代から日本企業はアフリカにたゆまぬ開発努力を注いできました。

当時の日本では政府の後ろ盾を望むべくもありません。休暇をとることなく働きづめで、マラリア予防のキニーネを服用した副作用によって倒れる日本人が続出、欧米では「ジャパニーズ・ビジネスマンの死屍累々」とうわさされたと聞きます。それにもかかわらず、日本がアフリカ開発で他国の後塵を拝するようになったのは残念です。

人の数で中国人と並ぶのは、インド人のファミリー団体客。2者を合わせれば、観光客全体の7割を超えるでしょう。人口の多さだけでなく、新興工業大国として世界経済を牽引する両国の成長の姿なのでしょう。

いまや老人だけの大国となり果て、人口も減少の一途をたどる日本。ごまめの歯ぎしりをしても詮方なしなのか……これからの日本はどうなってしまうのでしょう?

「経済」と結合してこそ、センシュアルの価値が高まる

一方、街で気がついたのは、日本車の多さでした。英国統治の残滓でレフト・レーン走行、右ハンドルのまま使えるという事情もあるからでしょうが、走る車の95%は日本の中古車でした。もちろん、耐久性と故障の少なさという品質があるからのことです。

日本の産業がこれから何をできるか、なのです。量ではなく質で勝負する。フランスの美容業界市場でも、中国や韓国の製品がこの数年進出著しいものがあります。それでも、メイド・イン・ジャパンはクオリティと信頼性でまだ持ちこたえています。そこに解があるように思います。

いままでわたくしは、この連載の中で「センシュアル」のいろいろな見方を語ってきました。生活スタイルやウィットのある会話、身だしなみに、アムールへの持続する意志。でも、それだけではまだ現実感がイマイチかもしれません。そう、問題は「経済」との結合です。

芸術的センスや職人技の中から、人々の五感をインスパイアするものを抽出して、感情と感性に訴える商品の提供が求められているのではないでしょうか?――センスある官能経済というか。

経済は損得で動くことは承知しています。それでも、大量生産・大量消費の近代資本主義ではなく、一種の成熟した、十人十色のセンスあるエレガントな「官能経済」が成り立っていくものなのか、逡巡しております。そしてこれがアンビバレンスとなるのか、新しいスタンダートとなるのか。わたくしの思考は始動したばかりです。

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