センスある「官能性」が日本経済の未来を拓く サファリで考えた「センシュアル」の真価
サファリでは美しい肉食獣たちに会いました。センシュアルを「エレガントな野生」と定義したこともありますが、肉食獣のそれは「野生のエレガンス」と言うべきでしょう。
削がれた脂肪、しなやかな肉体の蠱惑(こわく)、獲物をとらえる鋭い視線。到底かなわない、神から授かった天性です。他者の命を奪うことでしか生きられない宿命、残酷だからこその美しさがあります。
不可視の将来に足を踏み出していくしかない
時空を超えて、妄想が翔(はばた)きます。
わたくしは奔騰してサバンナを駆け、槍を放って餌物を仕留め、その日その日をただ生きている――ただ白昼の中で。
自分の手を下すことなく食を得て、足るを知ることなく不平不満を言い、世は理不尽と嘆く。ヒトは大脳を発達させ、言葉を発し、道具を使い食物連鎖の頂点に立っている。その結果、人間の悲しみとなった。
――私たちはどこから来て、どこに行くのか! 運命を受け入れ、不可視の将来に足を踏み出していくしかない。「現代人は恵まれているがゆえに不自由なんだなぁ」。大古の昔にサバンナを駆けていた、遠い祖先から喝を入れられた気がしました。
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