「カローラ」と「サニー」何が明暗を分けたのか トヨタと日産、大衆車50周年の系譜をたどる
当時、他にも同じクラスの国産車はあった。1963年には三菱自動車工業(当時は新三菱重工業)の「コルト1000」、1964年にはマツダの「ファミリア800」、 1966年には富士重工業(スバル)の「スバル1000」が生まれている。しかしこの3メーカーは、いずれも軽自動車を生産していた。日産とトヨタはそうではない。2社が大衆車を送り出したことは、特別な出来事だったのだ。
筆者は取材で初代のサニーとカローラに乗ったことがある。走りは対照的だった。625kgという軽量ボディと56馬力を発生する1000ccエンジンを生かして軽快にキビキビ走るサニーに対し、710kgのカローラは1100ccで60馬力エンジンがもたらす余裕の加速感と落ち着いたハンドリングが特徴だった。
デザインも、シンプルなラインを用いた正統派3ボックスのサニーに対し、スロープしたトランクや立体感のあるボディサイドなどにより豊かさを演出していた。トヨタとしてはパブリカでの反省からこうした造形を与えたのだろう。
1969年にはカローラが年間最多販売車種に
それが経済成長真っただ中にあった日本国民の望む姿であり、プラス100ccの余裕とともに、販売競争を優位に進める要因になった。それまで国産乗用車の年間最多販売車種はコロナだったが、1969年にはカローラがその座に就いた。
サニーとて頂点の座を諦めたわけではなく、1971年に発表された2代目では排気量1.2リットルエンジンを搭載し、ボディサイズも拡大して、「隣りのクルマが小さく見えます」というキャッチコピーとともに、対抗する姿勢を見せていた。しかし数カ月後に登場した2代目カローラは1.4リットルや1.6リットルも用意して、引き離しにかかった。
ボディはどちらも初代からセダンとクーペがあったが、カローラは3代目でハードトップを追加するなど、バリエーションの数でもつねに優勢だった。ただしワゴンについては1979年発表のサニー・カリフォルニアが先行した。前輪駆動やターボの採用もサニーが先駆けていた。
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