「カローラ」と「サニー」何が明暗を分けたのか トヨタと日産、大衆車50周年の系譜をたどる
ソニー損保では1986年から昨年までの乗用車年間販売台数ランキングを発表している。
それによれば、1986年は1位がカローラ、2位がサニーとライバル関係にあったが、翌年になると、トヨタのマークIIやクラウンなどが間に割って入るようになる。バブル景気の影響だろう。さらにバブルが崩壊した1993年以降は、日産の稼ぎ頭はサニーから、より小型のハッチバックボディを持つ「マーチ」や「キューブ」に切り替わっていく。
バブル景気の影響
その間サニーは、1990年に発表された7代目でクーペを別車種としてラインナップから切り離し、ワゴンのカリフォルニアも6年後に「ウイングロード」という名前で独立させ、セダンだけになっていた。そのセダンも2004年に登場した新型セダン、「ティーダ・ラティオ」と入れ替わるように販売を終了した。
カローラも2000年登場の9代目でクーペが消滅し、ワゴンは「カローラ・フィールダー」と名乗ることで、カローラのイメージを薄めていた。2年後には年間販売台数トップの座をホンダ「フィット」に奪われた。それでもトヨタはその後もカローラの名前は残した。しかも2006年のモデルチェンジでは、国内向け5ナンバーと海外向け3ナンバーの、2種類のカローラを作り分けている。
一方のラティオもまた、ベースとなったハッチバックのティーダ同様5ナンバーだが、当初からグローバルモデルとして企画された。
1999年にルノーとアライアンスを組んだ日産は、カルロス・ゴーンCEOの指揮のもと、グローバル重視の姿勢を強調していく。サニーもその中に組み込まれ、ティーダ・ラティオとして再出発したのだった。その傾向が、2012年に行われた2台のモデルチェンジで、いっそう顕著になった。
セダンタイプの「カローラ」は海外向けとの作り分けがいっそう進み、プラットフォームを格下のヴィッツと共通とした。ボディサイズも歴史上初めて全長が短くなった。しかし1.3リットルから1.8リットルまで3種類の直列4気筒エンジンを用意し、マニュアルトランスミッション(MT)や4WDを残すなど、ワイドバリエーションは維持していた。
一方の日産は、ティーダの日本での販売を終了し、ラティオのみを残した。こちらも旧型より全長がやや短くなったが、それ以上のニュースはマーチに続き、タイで生産される輸入車となったことだ。しかも発表はサニーの名を復活させた中国が最初で、東日本大震災の影響もあり、日本でのデビューは北米や豪州の後となった。パワートレインは1.2リットルの3気筒とCVTの組み合わせに絞り込まれ、4WDの設定はなくなってしまった。
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