「カローラ」と「サニー」何が明暗を分けたのか トヨタと日産、大衆車50周年の系譜をたどる

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第2次世界大戦直後は原動機付き自転車だった国民の足は、その後の高度経済成長に合わせてオート3輪を経て、4輪車へと移行していく。といってもサラリーマンにとってクルマは高嶺の花であり、自営業者が仕事で使う車両を休日にレジャーに使うパターンが多く、売り上げの主力はライトバンと呼ばれる小型商用車だった。

700ccの空冷水平対向エンジンを積んだ小型車「パブリカ」

1960年を迎える頃になると転機が訪れる。それまで「ダットサン」の名前で小型車を販売してきた日産は、1959年のモデルチェンジを機に新たに「ブルーバード」という名称を与えた。トヨタは2年前にダットサンのライバルとなる「コロナ」を誕生させると、1961年にはその下に、700ccの空冷水平対向エンジンを積んだ革新的な小型車「パブリカ」を用意した。

しかしコロナやブルーバードは、多くの大衆にはまだ手が届かなかった。一方パブリカは、空冷2気筒エンジンやシンプルな仕立てが、経済成長が始まった当時の日本ではあまり支持されなかった。そこで日産はブルーバードよりひとクラス下、トヨタはパブリカよりひとクラス上の開発に取り掛かる。これが同じ1966年に発表されたサニーとカローラだった。

サニーvs.カローラ

初代サニー

デビューはサニーがひと足早く4月だった。当時日産では、トヨタが同じクラスの新型車を開発しているとは思わなかったらしい。しかしトヨタは逆だった。しかもサニーのエンジンが排気量1リットルで登場するという情報を掴むと、エンジンの排気量を1.1リットルに拡大することを決断する。そして10月。カローラは「プラス100ccの余裕」という、サニーをライバル視したキャッチコピーとともに発表された。

初代カローラ

それまでの自動車業界のライバル関係と言えば、ブルーバードとコロナが有名で、「BC戦争」とまで言われた。

そこにサニーvs.カローラという対決の図式が加わった。メディアはいち早く「大衆車元年」という新しい言葉を作り出し、それが一般的になった。

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