人口が1.5倍に増えた福島・相馬の2年 低放射線量で他地域から移住者が相次ぐ

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3)相馬市の北隣にある新地町。いまだ一部では補修工事が行われている国道6号線を北上。途中、新地町駅への案内表記のあるところを右に曲がる。震災後は、すぐに津波のあとがはっきりわかる光景が広がっていた。この地点で海岸からは2キロ以上はある。当時は津波の威力で、ほとんどきれいに押し流されていた。現在は、がれきは取り除かれ、新しい土で一部盛り土されている。

4)相馬市の原釜地区から近い漁港や市場があった松川浦。震災前は、潮干狩りでも有名だった。ここにある松川浦大橋は、震災のときも流されずに残ったが、この周辺や魚市場周辺の商店街は壊滅的な被害を受けた。現在はほんのわずか数軒の商店が再開している程度。かつての賑わいはない。漁に出られない漁船が何十席も岸壁につながれていた。

次ページ沿海部は寂しい風景が広がっていた
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