右でも左でもない「リアリスト」が問う国防論 はたして国のために死ねるか?
ところで、日本の特殊部隊はどれほどの実力があるのか。著者は日本の特殊部隊である、海自の特別警備隊と陸自の特殊作戦群の力を持ってすれば、北朝鮮に拉致されている被害者を救出することは可能だと断言する。決して難易度が高い任務ではない。ただし、奪還する日本人の5倍から15倍の犠牲者を出すことは覚悟しなければならない。作戦の難易度と犠牲者が出るか否かは別の問題で、犠牲者が出ても完遂できる任務であれば難易度は決して高くない。それが軍事作戦なのだと著者は言い切る。そして、軍人としての自らの考えを吐露する。
"その作戦に向かうものは、無論、拉致被害者を奪還するために飛び立つが、しかし、それが全てではない。自分の国がいかなる犠牲を払ってでも実行しなければならないと信じたこと、許してはいけないと決めたこと、それを貫こうとする国家の意志に自分の生命を捧げるため、飛び立つのである。"
どんなに美しい言葉で飾ろうとも、軍事作戦とは国家が権力を行使して、国民たる自衛官に殺害を命じ、殺害されることを許容する行為だと冷静に見つめる。だからこそ、同盟国のおつき合いや、他国の大統領の命令で戦地に行くのはまっぴらなのだと語る。そのような考えを煮詰めた結果、著者は大きなジレンマにぶつかる。敗戦により意にそぐわない形で押しつけられた日本国憲法とどのように折り合いをつけるべきなのか。現状の日本に命を懸けるべき主体が存在するのか。という問だ。
日本国とはなんなのか
伊藤は7年間かけて部隊の創設に関わり、これから本格的に特殊戦の本質を追及しようとしていた矢先に海上勤務を命じられる。納得出来なかった彼は自衛隊を去り、フィリピンのミンダナオ島で特殊戦の道を追求することになる。しかし、この地でも日本国とはなんなのかという問いに悩まされる。
自衛官は何のために死ぬのか。今の日本国は自衛官を戦地に派遣する資格が本当にあるのか。著者は最後までその問いに答えを出すことが出来ないまま本書を書き終えている。新安保法制が施行され、憲法改正の議論も本格的に行われる可能性が出てきた今だからこそ読んでおきたい1冊だ。
それにしてもここまで一途な男が防人として存在していたのである。自衛隊という組織は予想以上に面白い組織なのかもしれない。
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