あの「熱海」に再び観光客が集まっている理由 宿泊客数は2011年を底にV字回復

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2012年には10軒の空き家があり、シャッター通り感が否めなかった熱海銀座。が、この4年間で飲食店など6軒が相次ぎオープン。現在ではゲストハウスに宿泊しながら家を探し、移住する人も出ており、周辺には新しい店舗やギャラリーなどが目につくようになってきた。銀座通りとその周辺の路上では2カ月に1回、伊豆を拠点に活動している作家のクラフト作品や、地元農家の野菜などを販売する「海辺のあたみマルシェ」が開かれ、数十軒の店が出てにぎわうようにもなっている。

仕掛け人はUターンで熱海に

市来氏は、かつて外資系コンサルで、オフィスを変える人で働く人の意識や行動が変わることを実感。街づくりでも同じことが期待できると語る

こうした店舗やイベントなどを仕掛けている人物がいる。熱海に拠点を置くmachimori代表取締役で、NPO法人atamista代表理事を勤める市来広一郎氏だ。1979年に熱海市で銀行保養所の管理人をやっていた家庭に生まれた同氏は、1999年の保養所閉鎖に伴い横浜に転居したものの、大学卒業後、3年ほどのコンサル勤務を経て熱海へUターン。以来、熱海再生にかかわってきた。

懐かしさだけが原動力ではない。決断の背後には学生時代に海外を旅して感じた熱海の可能性がある。日本三大温泉と呼ばれる熱海は1200年以上の歴史を持ち、湯量も豊富。海、山があり、海産物に恵まれているうえに、首都圏からも近い。それだけの財産がありながら生かせていない。これらを生かすことができれば、熱海は再生できる。そのために市来氏が最初に始めたのは熱海を紹介するサイト「あたみナビ」(現在はかかわっていない)だ。

観光情報はあるものの、当時の熱海には住む人のための情報がなかった。そこで市来氏は子育てママや、熱海唯一の田んぼオーナーなど、地域で活動している人や店の情報を発信。このほか、取材で知り合った農家のみかん収穫体験などのイベントを開催し、リタイア後に移住してきた人たちを中心に広く参加者を集めたり、「熱海温泉玉手箱」略して「オンたま」と呼ぶ街歩きを実施。2009年に開始したオンたまはこれまでに9回開催している。

もちろん、すべてが順調に進んできたわけではない。当初は何かやろうと商店街に相談に行くと、「お前は何者だ」「誰の許可を得た」「俺は聞いていない」と話すら聞いてもらえず、門前払い。イベントなどの手応えは感じていたが、商店街の空き店舗は増え続け、高齢化も進む一方。行き詰まりを感じる中で2010年に出会ったのが、リノベーション街づくりを提唱するアフタヌーンソサエティの清水義次氏だった。

建物をリノベーションして新たな「場」を作ることで、人の流れや意識を変え、最終的には街全体をリノベートする。そんな清水氏の発想に大きな感銘を受けた市来氏は、清水氏に教えを受けながら、不動産で熱海を変える活動に取り組み始めた。

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