パックスは、施行当初の2000年の段階でこそ、1年間で同性カップル5412組、異性カップル1万6859組が締結という結果で、同性カップル向けの比率が高かったが、2010年の1年間の数字では、異性カップル19万6415組、同性カップル9143組と、異性カップルの締結数が同性カップルにおける締結数を完全に圧倒している(ちなみに、2000年にフランス国内で結婚した異性カップルが30万5234組であったのに対し、2010年に結婚した異性カップルは25万1654組である。
04年6月5日がターニングポイント
このパックスの段階を経て、同性婚の法制化に向かう動きは、フランス南西部に位置するベグル市で2004年6月5日に生まれた。ベグル市の市長である緑の党出身のノエル・マメール氏が、関係当局の警告を無視して、同性カップルの結婚を法的に承認したのである。このときの結婚は、フランス国内の裁判所からは効力を否定され、マメール氏自身は政府から処分を受けることになった。
しかし、カップルの弁護士は、初めから欧州人権裁判所に提訴することを明言しており、2013年1月の段階では、係争中のもようである。また、このベグルの結婚事件は、著名な知識人の支持もあり、社会党を中心とするフランスの左派勢力の中で、同性婚法制化への支持が広がる気運をもたらしたといえる。その結果として、2012年に争われた大統領選挙では、社会党の党内予備選を勝ち抜いたフランソワ・オランド候補の60の選挙公約中31番目の公約として、「同性愛者に対して結婚制度の門戸を開く」という文言が盛り込まれた。2013年2月12日に国民議会(下院)で可決成立し、目下、元老院(上院)で審議中の同性婚法案は、オランド政権がこの選挙公約を実行したものである。ほんの30年ぐらい前までは、同性愛が「自然に反する行為」として犯罪扱いされていたことを思えば、大きな変化といえる。
少なくとも最近の各種世論調査を見るかぎり、フランスの世論は6割程度が同性婚の法制化に賛成している。とはいえ、パックス法制定の時代から、保守派の政治家の中には同性カップルの地位の法的承認は「文明」を脅かすものという声が多い。
結婚は男と女がするものであり、もし、男と男、女と女の結婚を認めるというのなら、親と子の結婚や、一夫多妻制、動物との結婚(獣姦)がダメだといえる根拠は何なのか。同性同士の結婚の禁止は、近親相姦の禁止と同じく「文明」のおきてであり、これを破ろうとするのは、「逸脱者」であるはずの者(=同性愛者)を規範の地位に押し上げる転倒である。ほとんど極右の政治家であるフィリップ・ドヴィリエ氏の発言とされるセリフに従うなら、「あなた方のパックス革命は、野蛮への回帰」なのである。
「結婚とは何か」キリスト教とイスラム教が共闘
ここで争点になっているのは、「結婚とは何か」という根源的な問いだ。ドヴィリエ氏と同様、一貫して同性カップルの地位の法的承認に反対してきた、クリスティーヌ・ブータン氏は、パックスの法案審議の際に、議場で分厚い本を掲げて反対演説をしたとされるが、この本が聖書だったのか、はたまた議院規則集だったのか、真相はやぶの中である。ただ、肝心なことは、この「文明」を言う側の結婚観は、必ず宗教と結び付いているという点である。キリスト教だけではない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら