さて、小池候補はどうだったか。そもそも、たった一人で都政の伏魔殿に切り込む、「正義の戦士」というポジショニングを作ったのは極めて巧妙な戦略だった。彼女自身、「フランスの一流ブランドの企業戦略に精通している」と言うだけあり、マーケティングに長けている。まさに、自分というブランドづくりの策を常に巡らせてきた人物のようだ。
スピーチも絶妙だった。「崖から飛び降りて」「退路を断って」「組織ゼロ」と繰り返し、自らのブランドストーリーを展開、覚悟と潔さをアピールする。退屈な他議員のスピーチを次から次へと聞かせることもない。若狭勝衆議院議員が前座として、手短に小池議員の実績をアピールする。防衛大臣、環境大臣の実績、そして、女性初の都知事の可能性など、あざとい自己PRは、自分ではあえてせず、前座や司会に言わせる。これも高等なスピーチテクニックだ。この役割分担も非常にうまい。
小池氏は「共感力」の重要性を知っていた
シンボルカラーの緑のものを何でもいいから持ってきてくれ、と有権者に呼びかけておき、スピーチの場で、「ほら、ああ、皆さん持ってきてくれたのね」と会場に話しかける。話し手と聞き手の共感形成のためのトリックのオンパレードである。冒頭のアイスブレークのテクニック、笑いをとるテクニック、ことあるごとに「いかがでしょうか」「お手伝いいただけますでしょうか」と聴衆に語り掛けるテクニック、ちょっと言い間違えをしたり、崩した言葉を使い「素の自分」を見せるテクニックなどを駆使し、会場を丸ごと巻き込み、一体感を醸成する。
小池氏はいみじくもスピーチの中でこう言い切った。「リーダーは共感力が必要だと思う」。そして「大義と共感が(私の)政治テーマであり、手法である」とも。コミュニケーションの重要性をどの候補者より知り尽くし、きわめて戦略的にアプローチしていたと推察できる。
コミュ力に長けた政治家のパフォーマンスを「劇場型」と否定的に言う声もある。しかし、これが、民意が全く反映されない「密室型」に対峙する言葉だとすれば、このやり方も一概に否定できないのではないか。大いに劇場の中でオープンに議論を戦わせ、真価を発揮していただきたいものである。
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