エルドアンは、なぜ民衆の人気を集めるのか その実像は「トルコ版の田中角栄」

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ここからは、毀誉褒貶の多いエルドアン大統領について考察したい。育った環境は決して豊かではなかったようだ。1954年にイスタンブールの下町カセンパシャ地区で生まれ、権力の階段を駆け上り2003年には首相の座に就いた。EU加盟をアピールし経済政策に注力した彼が、貧富の差を縮めたとトルコの大衆は信じている。なぜなら、大量の住宅を建設し低所得者層でも家が持てるようにしたからだ。

一方、現地の日本駐在員から話を聞くと、ほとんどの公共事業はエルドアン大統領が率いるAKP(公正発展党)が受注するといわれている。エルドアン大統領のファミリー企業が建設を請け負う案件が多いようで、故・田中角栄元首相の手法を思い起こさせる。

貧しい家に育ったこと、土地ころがしなどの金脈問題が取りざたされるところも似ている。私見だが、発展途上の経済社会では、同様の問題が引き起こされることが多い。別の見方をすれば、ある程度の政権能力がないと、治安の維持がおろそかになったり、外交面で周辺国家から脅威を受けたり、宗教からの影響に左右され過ぎたり――といったことも起きやすい。国のトップに立つには、究極のバランス感覚が重要になってくるのである。

「夢とロマン」を語り演説がうまい

バランス感覚があるとはいえ、やはりエルドアン大統領の手法は独裁的である。特にインテリ層からの批判の声は大きい。貧困層の大衆は、エルドアン大統領のポピュリズムには単純に賛成をする。トルコ人にとっては国内問題や自分たちの身近な生活が最も大切で、正直なところ外交問題や軍事などあまり興味はないのだ。

決して、独裁的なエルドアン大統領を多くの市民が好きなわけではない。本音は、昔の軍事独裁の復活よりもマシだと思っているに過ぎないだろう。日本の自民党が決して支持されているわけではないが、民進党に任せるよりもまだマシだという感覚に極めて近い。

エルドアン大統領が民衆に人気があるのは、かつてのオスマントルコを彷彿させるような「夢とロマン」を国民に語りかける演説である。ロシアにも中央アジアにも中国にも多くのトルコ系イスラム民族が存在する。イスラム系民族は今や世界中で誤解をされている側面がある。

多民族国家の多くはイスラム系民族への扱いに苦慮しているが、エルドアン大統領の考え方は率直そのもの。単純に「イスラム民族が結束して平和で豊かなグループを創造しよう」といったものである。このような演説も天才「角さん」に似ている。民衆から好かれるのが、彼らのような政治家の真骨頂なのだ。

エルドアン大統領は抜群の庶民感覚を持っている。たとえば、軍政時代の悪夢の記憶がトルコ人の意識に強く刻み込まれているのを知っているから、最悪の民主主義でも軍政よりはましだといった限界の政策で市民の心をつかむ術を知っている。昨日より今日、今日より明日のほうが経済的にラクになるといった雰囲気を醸し出すのがうまい。

彼が住む大統領公邸はアンカラ郊外に6億1500万ドル(約772億円)を投じた1150室ある大宮殿である。敵対する野党からは行き過ぎた無駄遣いだと痛烈な非難をされるが、トルコ国民はそれほど問題にしていないようだ。舛添要一元都知事の冷や汗会見が哀れに見えて仕方がない。

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