銀行ウーマン、一般職出身でも"働く母の星" 「ありがたくない出世」が、腰掛けOLを変えた!

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「アジアの新興国ファンドがはやったときは、セールススタッフ一同でチャイナ服など民族衣装を着て、お客様を支店にお呼びするアジアンセミナーを開催して販売促進につなげたり、皆で成績のいいスタッフのセールス話法を共有するためにロールプレイングをしたりして、チーム全体での目標達成を心掛けてきました」

08年には、本部に異動してコンシューマバンキング部(現コンシューマ営業部)の担当マネージャーに昇格。営業現場である支店を離れ、今度は教育係として、各支店の営業担当者の実績を上げる戦略や戦術を伝える立場になった。

「最近、テレビの話しかしないね」

プライベートでは、09年、地元小平市で建設関係の自営業を営む小学校・中学校の同級生と結婚した。

妊娠がわかったのは、本部の担当マネージャーになって1年後の、09年のことだ。7月に産休を取得し、8月に出産。翌10年4月には子どもを地元保育園の0歳児保育に入れ、早々に復帰した。

もっとも、この頃すでに産後女性社員の復帰支援について他行をリードしていたりそなでは、多様な制度を活用することもできた。

育休を延長することもできたし、時短勤務を利用することも許された。育児に重点を置きたいなら、一定期間はパートタイマーとなってその後社員に戻る「社員・パートナー社員転換制度」という選択肢も用意されていた。

しかし、髙仲さんは産前と同様のフルタイム勤務で、コンシューマバンキング部の担当マネージャーとして復帰することを望んだ。

「育休中、主人に『最近、テレビの話しかしないね』と言われて、私は働くことでどれだけ喜びを得ていたかが分かった。それと、正直、お給料の問題もあります。子どもを産んでも、生活水準は落としたくありませんでした」

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