福島第一原発事故、拙速すぎた避難指示解除 政府と南相馬市の住民への対応は「約束違反」

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松倉さんは、原発事故後3年半にわたってプレハブ仮設住宅で暮らした後、2年前に南相馬市原町区に中古の一戸建て住宅を購入。現在はそこから軽トラックで30~40分かけて元の自宅に毎日通っている。周辺にある田んぼが荒れないように草刈りをするためだ。

しかし、「コメ作りはどう見ても無理だ」とあきらめている。田んぼの水は沢から引いているが、その源流の山林が放射性物質で汚染されたままなのだ。

神山の自宅にも戻れる状況にない。避難生活が長引く中で、イノシシが窓を押し破って入り込み、屋内はハクビシンの糞尿で異臭が立ちこめるようになった。築50年を超す母屋は、避難後に年々傷みがひどくなり、6月にはついに取り壊しを余儀なくされた。残された築30年の車庫兼住宅にはトイレも風呂もなく、地震で水道管もダメになっている。

兄と一緒に経営していた浪江町の建材販売会社は、避難指示を機に休業に追い込まれた。2015年2月には東電による休業賠償も打ち切られた。農業に関する賠償も来年以降の方針がいまだに決まっていない。

戻りたくても戻れない事情

神山の西隣に川房という集落がある。ここは空間線量が年間20ミリシーベルトを超えていたことから、地区全体が2012年4月に居住制限区域に指定された。それが今年7月12日には、一段階下の避難指示解除準備区域を経ることなく、一足飛びに避難指示が解除されることになった。地区ではいまだに住宅周りに高い汚染が残るうえ、田畑の除染も終わっていないにもかかわらずである。

横田芳朝さん(71歳)は南相馬市でも指折りの梨農家だが、5年以上にわたって手入れができなかった梨畑は放射能に汚され、荒れるに任せている。

原発事故直後、「数日で戻ってこれる」と思って自宅を後にした横田さんだが、着の身着のままでスタートした避難生活は早くも5年以上にもなっている。現在はさいたま市内の賃貸住宅で妻と二人で避難生活を続ける一方、1カ月に一度のペースで川房との間を行き来する。地区の話し合いや知人の葬儀など、さまざまな用事があるためだ。横田さんも帰還の見通しは立っていない。

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