パリの夫婦に「子ども優先」なんて呪縛はない 両親を見て、子は大人の世界に胸を膨らます
大昔の映画で見た、割烹着を着て家事と子どもの世話にいそしむお母さん。それは近代日本における理想の母親だったのかもしれませんが、フランス人の夫に言わせれば「地に墜ちた憧れの女」なのです。
彼らが価値を置くのは、父であり母であるとともに、男と女であることをキープすること。父であり母であることは生き物としての生業ですが、スーパーマンとなりスーパーウーマンとなることは、人間であることの証であり、素敵にセンシュアルなことなのです。
パーティの夜、子どもはシッターとともに家に残される
さて、ここに現代のサザエさんの家庭があるとします。あなたはマスオさんで、ある日会社帰りにアラカルトのケーキを買って帰宅します。家族がそろったリビングで箱をあけて「さぁ召し上がれ」。そんな時、誰からケーキを選ぶことになりますか?
日本だったら、まずは最年少のタラちゃんでしょうか。タラちゃんがまだ小さかったら、ワカメやカツオがとってから、大人が手を伸ばすことになりそうです。
ところが、フランスでは違います。フネ→波平→サザエ→マスオ、それから子どもたち、という順番になります、年長者順、プラス、レディファーストということですね。
これは西洋流のレディファーストはもちろんのこと、東洋の儒教道徳にも通じるところがあります。子どもは社会の宝に違いありませんが、蝶よ花よと甘やかすという発想はありません。世の中でも家族でも、社会を担ってきた大人や年長者が尊重されるのが当然のことなのです。
またフランスでは、両親がパーティに出かける夜、子どもたちはベビーシッターとともに家に残されます。母の香水の残り香を嗅ぎつつブランケットにくるまって、閉じられた部屋のドアを恨めしく眺めつつ眠りにつく。マルセル・カルネの映画やサガンの小説にしばしば描かれたシーンです。
大人になったら、ドアの向こうにどんな素晴らしい世界が待っているんだろう。想像を膨らませながら、子どもは成長します。イマジネール(想像力)はそんなふうに涵養(かんよう)されるのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら