アスリートの「第ニの人生」、その厳しい現実

日産自動車で奮闘する元箱根ランナーの今

「とにかくエンジニアとしての知識がないことに一番困りました。言葉がわからないんです。車は好きでしたが、『フランジ』や『ガスケット』が何を指すのか知らなかった。『ワイブル分布』という言葉も現場で初めて聞きました。正直、周囲には迷惑をかけることが多かったですよ。たとえば、『特定車両のN増し確認をしてください』と言われても、意味がわからない。『N増しとは何ですか?』と聞くと、設計の方はハッとしていましたね」

佐々木は職場の人たちに「元陸上部」だということをあえて告げなかったという。元陸上部だということがわかると、エンジニアの知識がないと思われて、与えられる仕事のレベルが下がるからだ。

「元陸上部です、と言えば、仕方ないなと思われるかもしれませんけど、陸上で給料をもらうわけではないので、甘えたくなかったんです。自らのハードルを上げる意味でも、自分の口から陸上部だったことは言いませんでした。割り切って社員になったんですから、社員として生きていくためにどんなことでもする覚悟でした」

陸上部からエンジニアへの“転身”がどれぐらい大変なのか。佐々木はこんなことを言っていた。

「当時は、まったくできない自分に相当落ち込みましたね。右利きの人が、これからは左利きとして生きていく、そんな感覚だったと思います。はじめは箸もまともに使えない状態でしたが、ようやく利き手に近いくらいになりました。ただ、他の社員と比べたら、まだまだレベルが足りていません」

精神力だけは絶対に負けない

アスリートのセカンドキャリアはなかなか難しい現実を抱えているものの、佐々木は陸上部として過ごしてきた日々が、今の自分を支えているという。エリート社員にはないタフな“生命力”が逆境のなかで、底力を発揮しているからだ。

「やっぱり、『なにくそ』という気持ちですね。高校・大学は体育会系のなかで踏ん張り、這い上がってきた人間なので、根性だけは負けません。何をされようが、自分の決めたことがブレるような精神力ではないと思っています。高校時代の入部条件が坊主頭で、それを告げられた瞬間、みんなやめるんですよ。監督から、『帰れ!』と怒鳴られても、『帰りません!』と言って、僕は陸上を続けてきました。そんな関門を通り抜けた経験が今の自分を支えていると思います」

それでも、精神的にハードな局面を迎えて、佐々木は何度も会社をやめたいと思ったという。そのときに、支えとなったのが家族の存在だ。2012年に結婚して、一児の父親となった佐々木は、守るべき家族のために、エンジニアとしての挑戦を続けている。

「4年間、陸上部としてやってきたので仕方ない部分ではありますが、2005年に入社した同期は僕よりものすごく出世しています(笑)。エンジニアとしては4年後輩が“同期”で、僕は他の社員よりも知識がなかったので、さらに後方からのスタートでした。正直大変でしたけど、7年前と比べたら“違う人間”になったと思いますよ。少しは自信を持って、仕事に取り組むことができるようになりましたから」

休部前にトータル15名いた陸上部員で、現在も会社に残っているのは佐々木を含めて4名のみ。いろいろな選択肢があったなかで、佐々木は日産自動車という大企業で、エンジニアとして奮闘している。

「陸上人生を振り返ると、故障で走れない時期もあったので、悔いはありますよ。でも、アスリートはどこかのタイミングでセカンドキャリアを迎えることになります。いま思うと、ズルズル競技を続けるより、はやく上がった方が仕事を覚えることができる。日産自動車で定年まで働くことを考えると、比較的はやく決断できたことは良かったのかもしれません」

仮に30歳まで「選手」を続けたとしても、サラリーマン選手の場合、定年まで30~35年もある。選手としてよりも「一般社員」として過ごす日々の方が圧倒的に長いのだ。どれだけ偉大なアスリートといえども、“そのとき”は必ずやってくる。しかし、あまりにもそのことを考えている人が少ない。幸せな人生を送るためにも、選手はセカンドキャリアを視野に入れながら、現役時代を過ごしてほしいと思う。

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