ネットでの評判が気になる人、ならない人 結局、みんなが知りたいのは他人の年収だ
中川:確かに。
速水:情報でも音楽でも何でも無料で手に入るのが当たり前、みたいな感覚がネットでは一般的な一方で、フリーミアムなんて考え方も出てきて、「タダで享受できるのはココまで。この先はカネを払え」みたいなビジネスモデルもどんどん普及している。そういう環境で、僕らのようは立場の人間はどう立ち回るべきなんだろう。やはり、カネを払った人と払わない人は区別するべき?
中川:そうですね。少なくとも、接し方が多少変わってくるのは仕方ないと思う。SNSでオレのことをクソミソにディスっている人がいたとして、その人がオレの本を読んでくれたうえで言っているのであれば、反論するにしても「まずは本を買ってくれてありがとう」というお礼はちゃんと伝えなきゃいけないよな……くらいの気持ちは芽生えます。
速水:近年、語られはじめた評判経済、評価経済の考え方からすると、そういうネットでこちらのことを見ている人は、本を買ってくれたお客さんでないとしても、潜在的な顧客なのだ、みたいに言われます。ネットコミュニティのなかでの評価が巡り巡って自分の収入につながってくる、とかね。そういう考え方ってどう思いますか?
中川:どうだろう。少なくともオレ自身は、そういうことを気にする段階は卒業したかなと思ってます。たぶん、36歳くらいで終わっている。
速水:それは年齢の問題なの?
中川:年齢もそうだけど、収入的な要素が強いかな。もう、そういうの気にする必要ないわと。あとは早くリタイアして、どういう余生を過ごすかしか考えなくなっていったから。
速水:そうかぁ。
中川:これは以前から言っていることだけど、人間関係なんて、冷静に整理していくと、せいぜい30人くらいに集約されてしまうもの。それに仕事が変わったり、結婚したり子どもが生まれたり、引っ越したり……要は折々で人間関係も変化するじゃないですか。寂しいところもあるけど、それが現実でしょう。それに、オレはいま自分の近くにいてくれる仕事仲間とか、いつまでも変わらずに付き合ってくれている近しい友人とか、そういう自分の視界の範囲内にいる大事な人と交流しているだけで十分忙しいし、十分幸せだから。
速水:わざわざネットで愛想をふりまく必要もない?
中川:そのとおりです。ネットの有象無象から嫌われまくったところで、痛くもかゆくもない。
評価経済の怖さ
速水:僕の場合、やはりネットでの評判は気になってしまうかな。僕はツイッターででたらめな批判を飛ばしてくるやつとやり合うことはあるんだけど、やりとりが終わったと思ったらアマゾンのレビューで「1」をつけられて、がっくりきたり(苦笑)。