三井不動産、ハコモノの常識に挑む男 生活のストーリーを作り、街を生み出す

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「お客様の声や外部の専門家の知見を取り入れて、社内のメンバーでどうやって回していくかという作業は、マンションで新しい商品企画を導入するのと大きな違いはないんです。これまでに手掛けてきたマンションで、いろいろ新しいことを取り入れてきましたから」。

キッズリビングなど、業界標準を生み出す

開成高校から東京大学工学部と、「超」がつくほどのエリートコースを歩んできた町田氏が、三井不動産に入社したのは1991年のこと。採用当時はまさにバブル絶頂期。

不動産会社といえば、幕張新都心や六甲アイランドのような臨海部の再開発に邁進する、というイメージが強かった。町田氏も「大規模面開発みたいな大きいことをやりたい」と、三井不動産に飛び込んだ1人だ。

ところが、入社1年目から挫折が待っていた。最初に配属されたのは、志望理由とは真逆のリゾート事業部。「辞令を受けたとき、最初は何がなんだかわからなかった」。

それでも、まだ1年目は仕事があったからよかった。2年目以降はバブル崩壊がいよいよ本格化し、新規投資は手控えろ、という命令が下った。

日がな1日、リゾートビジネスの専門誌を読む毎日。飲み会の席でビル部門に行った同期から「うちの課だけで、わが社の利益の3分の1をたたき出している」という話を聞けば、引け目を感じることもあった。

ホテル出向時代。「ようやく社内プータローから卒業できた

「当たり前かもしれないけれど、仕事がない状態はつらいと実感した。今は結構バタバタしているけど、入社2年目の経験があったから、それはそれでありがたいと思えることができた」

念願だったマンション開発の部署に移れたのは、入社7年目。それでも、初めのうちは近隣住民への説明といった周辺業務や、小規模物件の開発ばかり。本格的に大規模マンションを任されるようになったのは、入社12年目に千葉支店へ異動してからだ。

千葉に移って最初に担当したのは、新浦安エリア。今でこそ、新浦安といえば三井のマンションとさえ言われる場所だが、当時はまだ1棟目がようやく建った段階。そんな草創期に町田氏が任されたのは、平均専有面積が120㎡という、1戸当たりの面積が過去最大規模の物件。

70~80㎡がファミリー向けマンションの標準的なサイズだから、広さはおよそ1.5倍。都市計画のマスタープランで制限があったので、これより小さくすることは難しい。そのうえ、総戸数は700戸と国内有数の大規模物件。生半可な商品企画では、全戸を売りさばくことは難しい。

開発チームで、どういう企画の部屋にするべきか侃々諤々(かんかんがくがく)議論したが、結論は簡単に出てこない。上司にプランを持っていっても、突き返される毎日が続いた。

そんなある日、支店長が「俺は、新浦安を子どもが3人いても安心して暮らせる街にしたいんだ」とつぶやいた。その瞬間、町田氏の中で何かがほのめいた。

「ビジョンはとても大事。どうしても目先のことで悩みがちだけど、根本になる軸があると、すごく商品企画に落とし込みやすい」

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