協力隊のときに見たシリア人の同僚やドイツ人上司の目の輝きと、日本で目の当たりにした目の輝きを失っていく仲間たちの姿。この大きなギャップに、僕は愕然とした。そして、悩んだ末、この2つをつなげることで何かを起こすことができるのではないかという考えにたどり着いた。
ドイツ人上司が得たような経験を、目の輝きを失いつつある日本にいる同世代の仲間たちに届けたらどうなるだろうか。日本企業のサラリーマンが、自身のスキルと企業の持つリソースを総動員して、途上国のNPOで現地の人々とともに社会課題に挑むのだ。そうすれば、途上国の課題解決に挑んだ社員たちは、目の輝きを取り戻すだろうし、企業による新しいアプローチでの現地社会への貢献になるはずだ。さらに、日本企業は新興国での新規ビジネスのヒントも得られるかもしれない。
これはもしかすると、現地社会にとっても企業にとっても、WIN-WINな事業モデルなんじゃないだろうか。僕はこのアイデアを「留学」ならぬ「留職」と名付けた。現地に“留”まって“職”務に当たる、という意味だ。
起業に向けて背中を押してくれたマッキンゼー
08年にマッキンゼーに入社した僕は、コンサルタントとして必死に働きながらも、この留職のアイデアを温め続けた。もちろん、実際に起業するまでには不安も迷いもあったが、マッキンゼーで出会った人たちとそこでの経験は、むしろ僕の背中を押してくれたように思う。
マッキンゼーで過ごした3年間で学んだことはたくさんあるが、僕にとって最も大きかったのは、「課題への向き合い方」だ。課題とは普通、誰もが避けたいものだと思うが、マッキンゼーの人たちは課題にげんなりするどころか、逆に喜々として課題解決に没頭するような人たちだった。そして「必ず解決できる。課題は解決するためにある」と心から信じているのだ。
こうした人たちに囲まれながらコンサルタントとして日本企業の抱える課題に向き合う中で、僕が「留職」という事業で解決しようとしている日本社会の課題も、必ずや解決することができるという自信が深まっていったのだ。そして11年の春、僕は志を同じくする仲間たちとともに、マッキンゼーを卒業してNPO法人クロスフィールズを立ち上げた。
こうして生まれた「留職」。次回はこのアイデアが実際にどのような事業になっていったかを、11年2月にベトナムへの留職を実施したパナソニックの事例を交えながらお話させてもらいたいと思う。
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