さらに驚いたのは、最初は淡々と働いていたドイツ人の上司たちが、しだいにシリア人の同僚たちと同じように、生き生きと目を輝かせながら働くようになったことだった。情熱あふれるスタッフとともに、自分が持つ知識やスキルを使って社会課題に挑むこと、そして、現地の人々から感謝されるということが、彼らの目に輝きを与えていたのだ。
このシリアでの経験が、僕の1つ目の「原体験」だ。「社会の課題を解決したいという想いと、ビジネスの力とが結びついた瞬間に、何かワクワクするような価値が生まれる」という直感が、その後の僕を突き動かすことになった。
ちなみに、僕が協力隊の後にマッキンゼーに入社したのも、そのドイツ人上司のアドバイスがきっかけだ。社会課題の解決とビジネスの力とを掛け合わせたいと思い始めた僕が、「まずビジネスを学びたいのだけどどうしたらいい?」とドイツ人上司に相談すると、「それならコンサルティング会社に行きなさい」と言われたのだった。そうして帰国後の希望就職先はあっさり決まってしまった。
目の輝きを失う大企業の仲間たち
2つ目の「原体験」は、日本で僕を待っていた仲間たちの姿だ。
シリアから帰国した僕は、久しぶりに大学の部活の仲間たちを集めて飲み会を開いた。学生時代に熱く語り合った仲間たちに、当時と同じ勢いでシリアでの経験やこれからの夢を語ったのだが、その直後に聞こえてきた言葉に、僕は耳を疑った。
「おい小沼、熱いのはいいけど、現実はそんなに甘くねえぞ」
「おまえも早く会社に入って、『大人』になった方がいいぜ」
学生時代、僕の周りには志を高く持つすばらしい仲間たちがあふれていた。就職活動のときにも、ある友人は「銀行に入って金融の力で日本の中小企業を元気にしたい」と熱っぽく語っていたし、「商社で世界の貧富の差をなくすようなビジネスをつくりたい」という友人もいた。僕は、こうした友人たちに囲まれ、とても頼もしい気分だったのを覚えている。
でも、企業に就職して数年間が経った彼らからは、そうした志は消え去り、かつての目の輝きも失われつつあった。僕の目の前にいたのは、週末のゴルフや金曜の合コンだけを楽しみにする“大人”たちだったのだ。
いったいなぜ、こんなもったいないことが起こっているのか。僕は怒りにも似た気持ちを覚えた。若者の情熱や志は、彼ら自身にとっても、企業にとっても、そして日本社会にとっても、かけがえのない財産のはずだ。でも日本の多くの企業は、若者の情熱や志を活かすどころか、巧妙にそれを消し去っているように僕には思えた。これが2つ目の「原体験」だ。
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