「鈴木敏文」が引退直前に漏らした自己批判 セブン&アイ革新への執念もにじむ
流通業界の最後のカリスマがまもなく引退する。セブン-イレブン・ジャパンやイトーヨーカ堂を傘下に持つセブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長だ。鈴木会長は5月26日に株主総会で退任し、経営者人生に終止符を打つ。米国のコンビニという業態を大きく発展させただけでなく、セブン銀行を創業するなど日本の流通、さらには生活インフラを変え続けてきた。
鈴木会長は2月にセブン-イレブンの井阪隆一社長に退任を言い渡したが拒否され、この人事案は創業者である伊藤雅俊名誉会長や社外取締役にもノーを突き付けられた。4月7日にセブン&アイの取締役会での採決により強行突破を図ったが、僅差で否決。逆に鈴木会長が退任に追い込まれた。
「7年間、新しいことを何もしなかった」
鈴木会長が井阪社長に降板を迫った理由は「7年間の任期で新しいことを何もしなかった」というものだ。それが正しいかどうかはさておき、「新しいこと」への挑戦は鈴木会長の真骨頂だった。鈴木会長は「総会までは貝になる」としてメディアに対しては沈黙しているが、社内での最近の発言は、経営革新への執念を感じさせる。
5月17日午後、東京・麹町のセブン&アイ本社の8階。大会議室に詰め掛けた250人の幹部は、いつにも増して緊張していた。多くのメンバーにとって、これが鈴木会長の話を聞く最後の機会となるはずだった。鈴木会長が出席する最後の大きな社内行事が、この日のイトーヨーカ堂の「業革」だったからだ。
「業革」とは業務改革委員会の略。イトーヨーカ堂が初めて減益となった1982年から続いている合理化プロジェクトだ。当時同社の常務だった鈴木会長の音頭でスタートし、この日で1209回を数えた。
かつては毎週開かれていたが、現在は隔週開催になった。毎回、教祖さながらに自らの理念を語る鈴木会長の独演会である。その十八番は、伊藤名誉会長をはじめ社内外が声を揃えて反対する中で新事業を成功させたエピソードの数々だ。この日も同様だったが、唯一違ったのは最後に「私は引退する。あとは君たちが、自分たちの時代ということで新しいものを作ってもらいたい」と新規事業の重要性をあらためて訴えたことだ。
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