当時の雑誌を読んでみると、暑苦しいほどの雰囲気に圧倒される。会社の社員総会では、スーツ姿の社員たちが拳を上げている。私だったら、おそらく数時間ももたないだろう。部課長以上は毎週月曜日には朝5時から会議をもつといい、夜は23時、24時も珍しくなかた。
当時の反応
当時の反応を冷静にみれば、疑義を投げかけるものが少なくない。冒頭で紹介した投稿もそうだし、購入商品を冷静に考えると価値がなさそうだったので返品したら断られたのでマトモな会社ではない、と断じている新聞もあった。
たとえばサンデー毎日は、その熱狂を伝えると同時に、冷静に分析をしていた。「あの会社はまったく不明ですよ。幻の会社なんですから。私どものほうでも、興信所で調べてもらったんですが、どうも赤信号でしたよ。それに商品にしても、いい品物はないですね。本当に専門家が吟味して仕入れた商品じゃないということが、わかりますね」という婦人子供服協同組合の常任理事のコメントを紹介したあと、<SF商法が、物価高に悩む消費者にとってほんとに”正義の味方”かどうか、それを確かめるにはもう少し時間がいりそうだ>としている(「サンデー毎日」1970年8月)。
しかし、同時に、同社を賛美する記事もまた散見される。
さきほど私は、同社の販売手法が、自己啓発セミナーの模倣である可能性を指摘した。ただ、それは「立体宣伝説明方式」なる新たな手法として取り上げたメディアもあった。立体とは、人間の五感すべてに訴求する方法らしい。
SF商法、騒ぎの終わり
しかし、サンデー毎日がいう「”正義の味方”かどうか、それをたしかめるにはもう少し時間がいりそう」という予想は間違っていた。それが判断できるタイミングは、すぐさまやってきた。
1970年12月には、あっさりと事実上の倒産となった。1億5000万円の不渡手形を出したのがきっかけだった。このときまでに全国で180万人といわれる会員を有していた。1966年に同社を設立したときには2億円だった売上高が、1970年には150億円になっていた。
さらに500社をこえる中小企業と取引をしており、連鎖倒産が懸念された。負債総額は当初32億円とされ、島津幸一氏は、採算を考えずに拡大路線を走り続けたと懺悔した。その一方で、取引業者への支払い条件は、150日手形というありさまだった。
それに加え、さらに違う疑惑が浮かび上がった。東京証券取引所の二部に上場するとし、業者や会員、さらには従業員にまで(!)2億円の株券を売りまくった疑惑だ。株券公募の届け出はなく、もちろん紙くずと同様になった。
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