これには前哨戦があり、1996年、国際司法裁判所は「核の使用は原則として国際人道法に反する」という趣旨の判断を下した。しかし、これは「勧告」であり、各国に対して拘束力はなかった。
新たに展開されている運動は、国際司法裁判所の勧告をさらに進め、「核の非人道性」について各国の合意を形成しようとするものである。しかし、核の禁止について前述したのと同様、「核の非人道性」を確立する運動にも核の抑止力の影が及んでおり、最終的な結論はまだ得られていない。
被爆の実態を「実感」することと、ことばの壁
一方、日本はこの運動に参加しつつ、世界の指導者に対し被爆地を訪問し、被爆の実態を「実感」することを勧めている。「核の非人道性」を確立する国際運動は、いわば、「言葉」で目的を達成しようとしているのに対し、被爆地訪問は「実感」することにより核の非人道性を確立しようとするものだと言えよう。
「実感」することと「言葉」で「核の非人道性」を理解することには大きな差がある。4月に開かれたG7外相会合がよい例であった。被爆地を訪問したケリー米国務長官ら各国の外相は、被爆の実相を「実感」して強い衝撃を受けるとともに、「驚いた」ことを率直に表明していた。つまり、被爆地で見、聞きしして「実感」したことは「言葉」で理解していたこととあまりにも違っていたのだ。
筆者は以前、軍縮大使であった関係上、広島や長崎で欧米諸国の人と一緒に被爆状況を展示している資料館を訪問したことがあり、彼らが想像を絶する強い衝撃を受けたのをこの目で目撃している。ある人は、訪問が終わると、どんなにひどく叱責されるか、おびえるまなざしで筆者を見ていたことを思い出す。
さまざまな消極的意見を克服して被爆地、広島を訪問することを決意したオバマ大統領は原爆の実相を「実感」するだろう。そのことは、今後、核軍縮を積極的に推進する大きな力となるはずだ。具体的にどのような行動がとられるか。それは次の段階の問題だが、「核の非人道性」を本当に知ると知らないでは、「核の廃絶」を推進する力も違ってくると信じている。
以上がオバマ大統領の広島訪問の意義を具体的な核軍縮提案の有無で測るべきでない理由だ。提案の発表は他の場所でもできるが、核の非人道性を「実感」することは広島と長崎でしかできない。オバマ大統領の歴史的な被爆地訪問の最大の意義はこの点にあると思う。
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