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2025年10月25日は台湾の国定休日「光復節」だった。学生やサラリーマンにとって、合法的に休めるのは、通常なら喜ばしいことだろう。
ところが台湾では、この日を祝日として記念することに対して否定的な世論も根強い。賛否両派の間では、これまでも長らく政治的な綱引きが続いてきた。
当日、筆者のSNSには「訳の分からない理由で学校が休みなので、こんな日こそきちんと勉強しよう」とのメッセージとともに、台湾史に関する推薦図書案内が転送されてきた。光復節に抗議する人は台湾史を学ぶ、というのがこの問題を理解するポイントである。
国民党が祝ってきた光復節
「光復」とは中国語で、失われた土地を取り戻すことを意味する。1945年10月25日、台北において、中華民国は日本の台湾総督府の降伏を受け入れた。
これにともない、1895年から続いてきた日本による台湾統治は終了し、中華民国による統治が始まった。つまり、光復節は中華民国にとって、台湾を日本から取り戻した日なのである。
日本社会では終戦の日は8月15日として記憶されている。しかし、1945年8月15日の時点で、中国国民党の蔣介石政権は中国西南奥地の重慶まで退いていた。
そのため、同政権が台湾を接収するのには2カ月以上かかり、それまでは台湾総督府による統治が続いた。ちなみに、同じく日本の植民地支配を経た韓国にも光復節があるが、その日付は8月15日である。
国民党政権は10月25日を中華民国の国定休日「光復節」と定め、1946年以降毎年祝うようになった。その盛大さは10月10日の国慶日にも見劣りしないものだったという。
ただし、国民党政権は光復節を国家の祝日ではなく、台湾省という地方の祝日と位置づけ、その姿勢は内戦に敗れた1949年以降も維持した。なぜなら、国民党はいずれ中国共産党から大陸を奪還し、中央政府を台北から南京に戻すつもりだったからである。





 
         
         
         
        
       
         
         
         
        
       
         
         
         
        













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