この状態に変化が訪れたのは1995年である。戦後50周年に際し、台湾で歴史記憶をめぐり論争が起こったのを契機に、光復節の法的地位は国民党によって全国的な国定祝日に引き上げられた。
歴史家の周俊宇によれば、この変化は中華民国の「台湾化」の進行を示す一方、「台湾光復」反対派からの挑戦に対して国民党政権がその正統性をより強く主張する局面が現れたことも示していた(周俊宇「国定記念日と祝祭日」若林正丈・家永真幸編『台湾研究入門』東京大学出版会、2020年)。筆者なりに言い換えれば、中華民国が台湾統治を始めた日を「祝うべきではない」と考える人たちの声の高まりに対して、国民党は「祝うべきである」と反発を強めたということである。
光復節を祝うべきではないとするのは、主に戦後台湾における国民党一党独裁期の抑圧的な政治に反発し、10月25日は新たな支配者の到来しか意味しなかったと考える人びとである。それらの人びとの間には、台湾にとって本当に記念すべきは日本の植民地支配を脱した8月15日だとの考えもある。
こうした世論に応じる形で、2000年に初めて国民党からの政権交代を果たした民主進歩党の陳水扁政権は、2001年に内政部(内務省)の規則を改正し、光復節を国定休日から外した。2008年に国民党が政権を奪還するが、2016年まで続いた馬英九政権は本件に抑制的だったようで、光復節を国定休日に復活させることはなかった。
国民党の手柄でも祝う中国共産党
ところが2025年の今年、新たな展開があった。5月、国民党と台湾民衆党の野党連合が多数を占める立法院(国会)で「記念日および節日実施条例」が成立し、光復節は国定休日に指定されたのである。



















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