シャープの失敗が映すニッポン電機の急所 【短期集中連載】冨山和彦氏に聞く(第1回)
頑張ってすり合わせて作った製品に消費者がおカネを払ってくれればいい。確かにポルシェには2000万円払ってくれる。だが、一生懸命作ったヴィッツに1000万円は払ってはくれない。これはもうしょうがない。最終的にはエンドユーザー、消費者がバリューを決めている。顧客と関係ないところで自己満足的にすり合わせにこだわっても、ある種、マスターベーションになってしまう。
国内の最先端のマザー工場はすり合わせにこだわってもいい。暗黙知をどんどん追いかければいい。非常に高度な匠の技を極められるのは、日本の会社の強みであり、日本の特権でもある。そういうことができる国は、日本とヨーロッパの一部しかない。
新興国では労働慣行や働きの価値観の問題があるからやりたくてもすり合わせは難しい。従業員が一つの会社に長くいてくれない。少し技能を見つけたらすぐに他社に移ってしまうから。
いつまでも暗黙知でとどめない
ただし、暗黙知で技術をどんどん高度化したら、ある段階で出来上がっているものに関してはいったん時間を止めて、形式知化して横に広げるべきだ。横に展開するというのは、ほかの商品に展開する、量産品に展開する、世界中の工場に展開するという意味。ずっと暗黙知で匠型の究極を追及している限り標準化はできないので、いったん時間を止めて標準化に進む。そうした標準化に力を入れていないのが日本企業の間違い。
経営者がすり合わせ信仰からの脱却をしようとしても、社内的に抵抗に合う。今までずっと暗黙知でやってきた人からすると、標準化努力をして横軸に展開していくのは、一流ではないみたいになってしまう。ナイスじゃない。道を究めてオリンピック目指すことがナイスで、スポーツの普及運動なんかは金メダルレースに落ちた人間がやるんだみたいな。でも、今、お金になるのは普及運動だ。