「モンスターマザー」は、ここまで恐ろしい

加害者と被害者が入れ替わるまでのすべて

自殺をする前に、裕太くんは何度か家出をしている。その原因を母親は、バレー部内での「しごき」や、裕太くんが患っていた軽度の障害に対する「からかい行為」に求めた。そして相手が降参するまで絶対に手を緩めないほどの激しい剣幕で、学校の担任、バレー部員、バレー部員の保護者、顧問らを次々に攻撃していく。自分を正当化するためには手段を選ばず、裕太くんを道具のようにコントロールし、事実でないことでも大げさに吹聴していく様は異様のひと言だ。

この母親の攻撃は、周囲を傷つけると同時に、裕太くんの友人関係における絆を断ち切っていったという意味でも、二重にダメージを与えたことだろう。我が子がますます学校に行きづらい状況を、母親自らが作り上げ、ある日ついに悲劇は起こったのだ。

この事件において、肉体的な暴力はほとんど存在しない。それゆえ、母親側と学校側との戦いの大半は情報戦によるものであったと言えるだろう。世の大前提として「親は子に無償の愛を注ぐもの」として、「教師は聖職に従事するもの」としての一般的な定説がある。だからこそ親が子供を虐待すればそれ自体がニュース性を持つし、教師が体罰を下せば大きな非難を集める。そういった観点から考えると、報道の文脈としての条件は、対等であったはずだ。

学校=加害者、母親=可哀想な被害者という図式

にもかからず、事件直後に世論が学校の責任を追求する方向へ一気に傾いた背景には何があったのか? それは一方が相手を陥れようとする明確な意図を持っていたからということに他ならない。いとも簡単に、「事なかれ主義の学校体質」「悪しき体育会系の風習」といったフレームがはめ込まれ、学校=加害者、母親=可哀想な被害者という図式ができあがる。そこに「熱心な」県議会議員、「人権派」の弁護士、「著名な」ノンフィクションライターたちが加勢し、認識がより一層強固なものになっていった。

被害者の皮を被った加害者とは、ここまで厄介なものかとつくづく思う。巻き込まれたが最後、「自らが潔白であればスルーにかぎる」などとやり過ごしていては、元の状態に戻すことすら困難になってしまう。すぐさまファイティングポーズを取って、全力でやっていないことを証明しなくてはならない。それでも拭い去れぬダメージが残ってしまうのが、濡れ衣の怖さなのだ。

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