関節リウマチをもたらす“悪い流れ”の正体は、いまだにはっきり突き止められていない。だが、それが免疫にかかわる病だということは、徐々に明らかになった。
われわれが病原微生物などの外敵から身を守ることができるのは、体内の免疫系が反応し、駆逐してくれるからだ。正常な免疫系が自分を攻撃することはないが、「自己免疫疾患」になると、自分の組織に免疫反応を起こし破壊してしまう。生活習慣と無関係な「1型糖尿病」、甲状腺の病気である「バセドウ病」なども自己免疫疾患で、人口の約5%は何らかの自己免疫疾患にかかっているとされる。そしてそのうちもっとも患者数が多いのが、関節リウマチなのだ。
ところで、関節リウマチは「芸術家に多い病気」というわけではない。また、男性の患者は、女性の4分の1ほどで、圧倒的に多いのは、30〜50歳で発症する女性である。そして多くの場合、関節リウマチに罹患すると、良い状態と悪い状態を繰り返しながら、徐々に関節の破壊が進む。100年前には、それを食い止めることができなかった。
薬の王様、アスピリンはこうして生まれた
19世紀末から20世紀初頭は、消毒法など外科的治療(手術)の技術が進歩した。ただし、変形し切った股関節に対して、足の付け根で足を切断するだけというような、荒っぽい治療をするよりほかなかった。
一方、痛みに対処しようにも、良い痛み止めがなかった。しかしこれが、“薬の王様”とも呼ばれる「アスピリン」の誕生を促した。
古来、洋の東西を問わず、「柳の樹皮」の鎮痛作用が知られており、後白河法皇の頭痛を癒やしたともされる。19世紀半ば、柳(学名Salix alba)から抽出された有効成分は、サリチル酸(salicylic acid)と命名された。サリチル酸は、1870年代から関節リウマチなどの炎症を鎮めるために用いられたが、強烈な苦味に加え、副作用の胃腸障害は、“痛み止め”が胃痛を招くという皮肉な結果ももたらした。
ドイツ・バイエル社の化学者、ホフマンの父もまた、関節リウマチに苦しんでいた。1897年、孝行息子のホフマンは29歳の時、サリチル酸をアセチル化(水素原子をアセチル基で置換)して酸性を弱めた「アセチルサリチル酸」ことアスピリンを合成し、副作用を軽減することに成功した。
1899年、アスピリンは解熱鎮痛薬・関節リウマチ治療薬として発売された。後にアスピリンの抗血小板凝集作用が見出され、心筋梗塞や脳梗塞の予防に用いられるなど、100年あまり経つ今も、世界初の合成医薬品として最も多用された薬という地位は揺らがない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら