ランボルギーニはなぜここまで急成長したか 「過去15年で販売12倍」の軌跡を追う
アウディとランボルギーニはお互いの技術をうまく活用している点も忘れてはならない。ガヤルドと並行して開発されたアウディのフラッグシップであるスポーツカー「R8」には、ガヤルドとベースを同じくするV10エンジンやアルミ製スペースフレーム、カーボンファイバー素材が用いられた。
そこでアウディのモータースポーツへの取り組みとR8のイメージをうまくリンクさせたものの、アウディはランボルギーニとのコラボレーションを直接的に謳うことはなかった。安売りせず、独立した重要なブランドとしてランボルギーニを育てたのだ。
ランボルギーニは創業50年そこそこの若い会社であるが、フェラーリやマセラティという老舗スーパーカーメーカーが存在するイタリアはモデナ地区において明確なブランディング戦略を行った。拙著『フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を 生み出すブランディング』(KADOKAWA)からそのエピソードのひとつを引用してみよう。
フェルッチョ本人によって入念に練られた作り話
「トラクター製造ビジネスで富を得た、フェルッチョ・ランボルギーニは当時フェラーリを得意げに乗り回していた。ところがクラッチに欠陥があり故障を繰り返し、何回工場へ持ち込んでも直らない。そこで思い余った彼はエンツォ・フェラーリに面会をし、改善を求めようとしたところ、門前払いを受ける。もともと短気で喧嘩っ早いフェルッチョは怒り心頭。打倒フェラーリを目指すスーパーカーメーカーの設立を宣言した。それが“跳ね馬”のフェラーリに対抗した“闘牛”のランボルギーニの生業だ……」
このランボルギーニ設立にあたっての有名なエピソードを読者の皆さまもどこかで聞いたことがあるかもしれない。
ところがフェルッチョの右腕としてあのカウンタックなど数々の名車生み出したパオロ・スタンツァーニ技師は笑いながらこのエピソードの真実を語る。
「このエピソードはフェルッチョ本人によって入念に練られた作り話なんだ。彼は運転が荒かったからフェラーリのクラッチをすぐにダメにしてしまい、よく交換していたようだ。
しかし、それはハイパフォーマンスカーなら当たり前であり、欠陥という訳ではない。そもそもエンツォ・フェラーリに会ったことすらなかった。ランボルギーニという会社にマスコミやカーマニアが興味を持ってくれるようにリークした訳だ。付け加えておくと彼は決して粗野で乱暴でもなく、仲間を尊重する温和な人間だったがね」
フェラーリを中心として動いているスーパーカー界において、新規ブランドがアピールのためにアンチ・フェラーリを謳うのはわかりやすい戦略だ。そこでそのフェラーリにケンカを売る過激で革新的存在がランボルギーニであるとアピールしたワケだ。
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