新幹線の車窓に現れる巨大な「輪」のナゾ 土木、流通…小田原付近に見る日本の「今」

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現在は物流拠点となったアマゾンFCセンターだが、ここも2009年までは車のバッテリーなどで知られるGSユアサのバッテリー工場があった。

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昔話にでも出てきそうな特徴的な山容の矢倉岳。頂上からは富士山を含む360度の眺望が楽しめ、街道を見はる櫓の役割を果たしたことが名前の由来だとか

1941(昭和16)年に湯浅蓄電池小田原工場として開設された工場で、戦時中は海軍指定工場になっていた。終戦間際の1945(昭和20)年8月13日には米軍による爆撃を受け、防空壕に避難していた13人の従業員が犠牲になっている。

敷地内には爆弾によって地面がえぐられた跡や慰霊碑があったが、慰霊碑は市内の新しい事業所に移され、戦争の記憶を今に伝えている。

酒匂川の流れをはじめ、自然の景色も美しい。晴れた日なら、富士山がいよいよ大きく見えてくる。その手前に見える、ぽっこりと飯を盛ったような姿が特徴的な山は、足柄山地にある矢倉岳だ。その周囲にも、駒ケ岳や明星ケ岳など箱根山地の山々がよく見える。

社会を陰から支えた少年院

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新幹線の開業当時からほとんど姿を変えずに来た小田原少年院(写真の一部を処理しています)

小田原駅のホームに入る直前、E席側の高架脇に、古い学校のような施設が見える。小田原少年院だ。非行に走るなどして、家庭裁判所から保護処分を受けた未成年者を収容・教育する施設で、設立は1903(明治36)年と長い歴史を持つ。

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小田原少年院は大正ロマンを感じさせる本館が解体されてしまったのが少し残念

2009年までは、大正時代に建てられた洋館風の本館が新幹線からもよく見えたが、老朽化が激しく現在では解体されてしまった。

少年たちが生活をする施設は戦後間もなく建てられたものが多く、新幹線の車窓から作業や運動をしている人たちの姿を見えることがある。2018年を目処に移転・統合が予定されており、100年以上にわたって少年たちの更正を支援してきた施設を見られるのも、あとわずかだ。

空襲を受けた工場、日本社会を陰から支えてきた少年院。歴史ある施設が徐々にその姿を変えていく。日本が誇る土木技術の展示と合わせ、新幹線の車窓を観察すると、日本の「今」が見えてくると言っても過言ではない。

列車は小田原駅を発車。箱根山地の丘陵地帯に入り、三島まではトンネルが連続する。車窓はほとんど見えなくなるので、仕事がある人は今のうちに済ませておこう。
 

栗原 景 ジャーナリスト

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くりはら・かげり / Kageri Kurihara

1971年東京生まれ。出版社勤務を経て2001年独立。旅と鉄道、韓国をテーマに取材・執筆。著書に『新幹線の車窓から~東海道新幹線編』(メディアファクトリー)、『国鉄時代の貨物列車を知ろう』(実業之日本社)等。

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