山田太一氏が語る脚本、映画、そして仕事術 「憶病だから仕事で掛け持ちはできない」

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――家族といえば、「101回目のプロポーズ」などで知られる演出家の宮本理江子さん、『るろうに剣心』などで知られるカメラマンの石坂拓郎さんと、娘さんと息子さんが映像の世界に入ってきています。山田さんの影響があったのでは?

彼らは勝手にやっているので、僕の影響なんか全然ないと思いますよ。僕が子どもにプレッシャーを与えるような親だったらそういうこともあるかもしれないけれど、うちはそういうことはまったくなかった。やはり反発したり、模倣したりする対象というのは、家族じゃないほうがいいのではと思ってます。

――木下恵介監督から教わったことはありますか。

たくさんありますよ。やはり大監督だし、偉い人だなと思っています。人との付き合いにしても、僕にはとてもまねはできません。いろいろな人の気持ちを察して、末端のスタッフに対する気配りもある。それから有名なレストランにもお供しましたが、そういうところでも自分が今夜のいちばんの客という振舞いはまねできません。いろいろ細かな生きる姿勢を知ることができるのはうれしかったですね。

戦後にかけての飢餓経験が根底にある

――木下監督は食通だったそうですね。

僕はそういうのは全然ダメで。そういう意味では、ちっとも木下さんから学んでいませんね。本当に僕はそういうのが全然ダメで、味のわからないやつが来たと思われてるのではないかと、つい思ってしまうんです。だから僕は食べ物については何も言わないようにしています。

それは戦中から戦後にかけて飢餓体験があったということもあります。食べるものがなかったので、食べられるものなら何でもいいと。サツマイモがひとり2本しかなかった時に、姉が「あなたに1本あげる」と言ってくれたことがあって。こんなにお腹がすいている時なのに、よくそんなことが言えるなと思って。ものすごく感動したことがあったのです。だから僕は食べ物については、なるべくうまい、まずいとは言わないことにしているんです。基本的に食べられれば何でもいいと思っています。

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