しかし数年前でしたか、東洋経済オンラインで、高学歴・高キャリアの夫が妻のキャリアを伸ばすため、自分が専業主夫を選び、育児を楽しむコラムが長く人気を博していました。歴史的に結婚や育児のために職を諦めるのは、ほとんどの場合女性でしたが、更に高いキャリアを約束されている夫がそれを捨て、男性ならではのおおらかな視点で育児を楽しむ日常が綴られていました。
彼に家族のために犠牲になったという感覚はなく、妻のキャリアを応援し、育児を含めて主夫を担当することが彼の幸福でもあることが、そのコラムからは伝わっていました。
夫婦の形はそれぞれというわけですが、どれも共通しているのは、多くはその形を夫婦で決めているか、両者の歩み寄りや支え合い、時には一方が犠牲を納得して引き受けて決められていることです。
酷な言い方ですが話し合いもなく、「それぞれがやりたいことを諦めずに結婚生活が継続することが、結婚の良い形」とあなたが一人で思い込んだ時から、あなたの結婚のボタンの掛け違いは始まっていました。
結婚とは、パートナーを愛すること
巷では安っぽく「愛する」という言葉が氾濫していますので、ここでは「思いやる」という言葉に置き換えたいと思います。結婚で一番大切なことは、相手を思いやる心だと思います。お互いに居心地良い家庭であるためには、相手が何を望み、何を不満とするかを知ることは、結婚生活の基本です。
双方が衝突する場合は、ほとんどの夫婦はあうんの呼吸で歩み寄ったり話し合いで支え合ったり、納得して一方が犠牲を払いながら、家庭を築いているのです。この場合の犠牲は、その犠牲を払うことで大切な家族がより良い生活ができるのですから、むしろその時点で喜びに代わっているのです。
加山様、いみじくも当欄では前回も、相手に対する思いやりがなく、結婚後も自分が一番大事な女性が招くトラブルについて、少し言及させて頂きました。恋愛と結婚は別なのです。恋愛は相手に対する思いやりがなくとも、当事者がそれでよければ、第三者が口を挟む余地はありません。しかし結婚となるといろいろな責任が伴いますので、時に一方が犠牲を払う思いやりは欠かせません。その思いやり(愛)は、相手に以心伝心か言葉や行為で伝わってなければならないのです。
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