白河:夫が家事と育児を「自分ごと」にするということは、女性の側も家計を支える仕事を「自分ごと」としてしっかりやっていかなくてはいけない、ということでもあるんです。働くことが自己実現のためとか、やり甲斐があるからとかだけじゃなく、しっかり夫婦として、世帯年収でいくら稼げるんだということを考えないといけない。
単に従来と逆転の男女関係だからおもしろい、というだけではないんですね。「ネガ」と「ポジ」のように、男女逆転の取材をすることで、このあたりの事情がくっきりと浮かび上がってきました。
最近、男性の「家事をする・しない」をめぐって、ネットで炎上したりするじゃないですか。ああいう騒動も、女性の側にどのぐらい働く覚悟があるのかという点を曖昧にしたまま起こっていると思うんですよね。
夫が主たる責任を持って家事や育児をすると考えるんだったら、やっぱり女性もしっかり家計を支えるために稼いでいくという思いが必要だなと。一方で、現実には、すでに奥さんの方が年収が高い家庭はかなりあります。だけど、たいてい夫は家事をやっていない。
消えない役割分担意識が生む「主夫=ヒモ」説
太田:それだとやっぱり奥さんから不満が出ますよね。
白河:そりゃそうですよ。逆転まではいかなくても、同じくらい稼いでいる人は多いので、不満は溜まります。だけど、そこで多くの女性がその不満をうまく処理できないのは、「自分の稼ぎがメインじゃないから」と、どこかで思っているからなんでしょうね。
ひょっとしたら、自分はいつか仕事を辞めるかもしれない。だから旦那さんの稼ぎがメインだし、家事をやらなくても仕方ないよね、というふうに思っている。昔ながらの男女役割分担意識のままで、共稼ぎでやっている夫婦に、矛盾・ほころびが出てくるんですよ。
太田:なるほど。そういう意味では、やっぱり今でも「主夫」と聞くと多くの女性は抵抗感を抱くのでしょうね。「誰かにぶら下がってるヒモなのかな」「男性が働かないってどういうことなの」って。
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