ジョン・ウー --レッドクリフを作った男の執念【上】
お気に入りは黒澤明監督作品。そしてヨーロッパ映画やマカロニウエスタン。「ジョン・ウー監督と何度もディスカッションして、監督が好む音楽の方向性を探っていったら、60年代に流行った『アラビアのロレンス』とか『夕陽のガンマン』みたいな哀愁の漂う音楽に行き着いた。『レッドクリフ』の音楽は監督の音楽観を尊重して作られたものだ」と『レッドクリフ』のテーマ曲を作曲した岩代太郎が語る。
一家は貧しかったため、キリスト教会の援助でやっと進学できた。これが彼の人生観に大きな影響を与える。「私にとってキリスト教は人生の哲学。自分を愛するように他人を愛せという教えは、自分の信念」。ウーの映画に教会がよく登場するのはそのためだ。
高校時代は演劇にのめり込み、卒業後は映画学校で実験映画を撮っていたウーは、69年、23歳の時に香港政府系映画会社キャセイ・スタジオで、撮影現場の記録係の職を得た。その後、助監督を経て、73年に初監督、さらに業界大手のゴールデンハーベストと監督契約を結び、多くの映画を監督する。中でもコメディ映画が人気を博した。こう書くと順風満帆なキャリアを歩んでいるように見えるが、ウーの心は沈んでいた。
「上司からはコメディ映画を撮り続けてほしいと説得されたが、気が乗らなかった。ヒューマニズムにあふれた警察アクションものや、フランスのフィルムノワール(犯罪映画)のような映画を撮りたかった」
だが会社側はウーの願いを聞き入れず、製作方針をめぐってもめた末、ウーは同社を退社。83年に新興映画会社のシネマシティに移籍するが、ここでも撮りたい映画を撮れず、ウーは台湾支社に異動となった。まさに左遷人事。ウーは相当落ち込んだ。
「台湾で私が撮った作品も売り上げが芳しくなく、周囲からも時代遅れだと揶揄された。だけど私は自分が優れた監督だと固く信じていた。撮りたい映画を撮るチャンスに恵まれていないだけだ、とね」
台湾時代もまた、ウーが撮った映画はコメディだったが、「当時は憤りと落胆でいっぱいだったので、コメディ映画にも私の悲しい心情が反映されていた」と苦笑する。(敬称略)
(下に続く 下は4月8日の掲載予定です)
呉 宇森(John・Woo)
1946年中国・広州生まれ。香港で育つ。監督以外に勢作・出演をすることも。日本のCGアニメ映画『エクスマキナ』などもプロデュース』
(大坂直樹 撮影:吉野純治、梅谷秀司 =週刊東洋経済)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら