高齢時の認知力は20歳時の文章から分かる?! アルツハイマー病の過去・現在・未来

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ここに書いたような、アルツハイマー病の歴史、成因、治療だけではない。認知症研究の歴史、アルツハイマー病になりやすい遺伝子、老化の生物学、今では否定されたアルミニウム犯人説、などなど、アルツハイマー病をめぐる数多くのテーマがとりあげられている。

ひとつだけ、誰もが興味を抱くであろうトピックを紹介しておこう。それは、修道女の研究から得られたものだ。

修道女の事例からわかった不思議なこと

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678人の修道女の人生と脳を対象にした老化研究が1986年に始まったが、その中で驚くべき例が見つかったのだ。

節制につとめる修道女には長寿者が多い。シスター・メアリーも101歳まで生きた、それも認知症とはまったく無縁に。しかし、その脳標本はプラークとタングルにびっしりと覆われていた、あのアウグステ・Dと同じように。アルツハイマー病は、プラークとタングルの存在だけでは説明できないのである。まるでちゃぶ台返しではないか。

もうひとつ、この研究からわかった不思議なことは、20歳のころに書いた文章と何十年もたった後のアルツハイマー病の発症に相関関係があるということだ。成人した頃の、ひとつの文章にどれだけの情報を簡潔に集約するかという「情報密度」の高さが、高齢になった時の認知能力と一致する、というのはいかなる理由なのだろう。

余談になるが、アウグステ・Dの標本は、なんと、2つの世界大戦を経て、1997年にミュンヘンで見つかった。アルツハイマー病の名を世に出してくれた恩人であるクレペリン-クレペリン検査のクレペリンだ-の元へとアルツハイマーが送った標本が残っていたのである。

まったく知らなかったが、この標本の発見には東京都神経科学総合研究所の神経病理学者・藤澤浩四郎が大きく関与している。藤澤は、アウグステ・Dの標本は極めて貴重な情報をもたらすはずだから、見つかる可能性が低くとも探すべきだという粘り強く主張し、それをうけての発見だったのである。もちろん、その標本は、最新の方法をもって再解析された。面白い本には、すばらしいサイドストーリーも描かれている。

最後に、この本『記憶が消えるとき――老いとアルツハイマー病の過去、現在、未来』がきわだって優れているのは、できるだけ専門用語を用いずにわかりやすく解説しているところだ。それも、正確さをそこなうことなしに。著者は研究者ではなくてサイエンスライター。専門家は、どうしても細かなところに気がいってしまって、なかなかこうは書けない。もって他山の石としたい。

仲野 徹 大阪大学大学院・生命機能研究科教授

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なかの とおる / Toru Nakano

1957年、大阪市旭区千林生まれ。大阪大学医学部卒業後、内科医から研究の道へ。京都大学医学部講師などを経て、大阪大学大学院・生命機能研究科および医学系研究科教授。HONZレビュアー。専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。著書に『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社、2017年)、『からだと病気のしくみ講義』(NHK出版、2019年)、『みんなに話したくなる感染症のはなし』(河出書房新社、2020年)などがある。

 

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